日本人が肉を食べ始めたのか明治からというのが「定説」だが、実は違う。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が、日本人の肉食ルーツをたどる。
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「日本人が、肉を食べるようになったのは明治以降である」と大学の入試に出たら、おそらく正答は「○」だろう。だが実際のところは「☓」である。確かに明治の初頭、肉の食用や養豚事業などは失業状態にあった士族の授産対策としても奨励されることになったし、1872(明治5)年には、政府も「肉食妻帯勝手たるべし」──と僧侶への肉食奨励とも取れるような触れを出している。
だが実際には遥か昔から、日本人の食生活は常に肉食とともにあったと考えられる。例えば、紀元前には田畑をつかさどる「大地主神」が田作りの日に農民に牛肉を食べさせたことで、豊かな実りをつかさどる「御歳の神(みとしのかみ)の祟りに遭う。怒りを解くべく白猪、白馬、白鶏を献上した」という記述が登場する。
その肉食に歯止めがかかったのが、646年に発布された「大化の改新」の詔である。一般には同時期に伝来した仏教との関連で禁じられたと言われているが、確かに「諸国の百姓が農月に酒を飲み肉を食うことを禁ず」と記されているが、「農月」とは4~9月の農繁期のこと。農作業の効率を考えれば、酒を控えさせるのは自然なことで、農耕用の牛馬を食べてしまっても作業効率は落ちる。さらに676年には牛馬犬猿鶏の食用が禁じられたが、裏を返せば禁じなければならないほど食べていたということになる。
実際この頃から、ひんぱんに牛や馬の殺傷禁止や肉食禁止令がたびたび出されるようになる。嵯峨天皇に至っては、あまりに肉食禁止が守られないことにいらだったのか、811年に「農人が酒を呑み肉を食うことを禁じて久しくなるが、之に逆行する傾向なので一層取り締まりを強化する」とお触れを出す始末。
この後も、折にふれて「肉食」文化は文献に登場するものの、次第次第に禁忌的な扱われ方になっていく。とりわけ戦国~安土桃山時代にかけての南蛮渡来人の記録には色濃く残されている。「日本人は家畜を殺して食うこと少なく、肉食を罪悪視す」(フランシスコ・ザビエル/1549年)、「京都に来て皆病気になったが、肉や魚がまるで入手できない」(ルイス・フロイス/1565年)との記述が残されている。