夏バテが気になる時期、健康にまつわる名著を紹介しよう。
「寿命」という視点で日本全国の食習慣を調査した結果をまとめた『日本の長寿村・短命村』(サンロード出版)。1972年初版のこの本は東北大学名誉教授(衛生学)であった近藤正二博士(1893-1977)が36年の歳月をかけて日本全国の990の村を訪問調査した結果をまとめたものだ。
十数版重ねるロングセラーとなった初版が絶版になり、現在は「新版」として生まれ変わっているこの本は、長寿も短命もすべて食生活が左右することを指摘した名作だ。
同書の中には、近隣でありながら「風習」や「歴史上の経緯」で長寿村・短命村の明暗がわかれた例も掲載されている。現代人にも通じると思われる“鉄則”が見てとれる。
現・三重県南伊勢町にある平家の落人が拓いたとされる村と、既存集落の例がそれだ。地名に「竃(かま)」のつく集落が落人村で、「浦」がつくのが土着の漁村の村だ。
「竃(かま)」のつく集落は奥まった入り江の後方に山が迫る場所に点在。これは昔、平氏の子孫が製塩業で生計をたてていたためで、塩を焼くのに必要な薪を得るためだとされる。
流れてきた平家の落人たちが定住するにあたり、「浦」のつく漁村民たちに「魚は獲らないから」との約束で住み着いたため、「竃」で漁業に従事する者はいなかった。
そのため、魚と米しか食べない漁民村に比べて、「竃」の住民は畑を作り青野菜を育て、海藻を食べる。魚とそれを売って買ってくる米ばかり食べる「浦」の住民と比べて倍以上長寿者が多かったという。
歴史的経緯で長寿になった村はほかにもある。
沖縄の中でも竹富島が特に長寿だと近藤教授は述べているが、その陰には同島に大豆を持ち込んで昭和初期に表彰された人物がいたからだったからだという。大豆を摂り、野草や海藻を多食するこの島の寿命は沖縄でも随一だった。
ほとんど動物性蛋白を摂らず、植物性蛋白だけで長生きしている村も岩手県にあった。今は岩泉町に合併された海抜400メートルの高地にある村で、山の魚と呼んで豆腐を多食。本物の魚は年に数回しか摂らず、主食はヒエで、大根葉を生野菜のように食べていた。