これまで幾人もの世界のリーダーたちへインタビュー取材をしてきた作家の落合信彦氏は、優れた指導者は、強さと人間臭さを併せ持つと言う。故レーガン米大統領と故サッチャー英首相の人となりを思い出しながら、オバマ大統領と安倍晋三首相の指導者としての在り方について、落合氏が論じる。
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オバマが「戦後最悪の大統領」に選ばれたアメリカのキニピアック大学世論調査研究所が7月に発表した全米世論調査において「戦後最高の大統領」と認められたレーガンは、親のコンプレックスを克服した政治家だった。
彼の父親は靴の行商セールスマンでめったに家には帰らず、たまに帰れば酒を飲み暴れ回ってレーガンの母親を殴った。レーガンの母親は私のオイルマン時代の大先輩、ジョン・シャヒーンの家でメイドをしており、レーガンとは幼なじみだったため、その頃の話を詳しく聞いている。
そんなレーガンをシャヒーンはこう評した。
「家庭生活は決してよくはなかったが、環境に負けるような男ではなかった。どんないやなことがあっても明るさで吹っ飛ばしてしまう。そして何をするにもリーダーシップを発揮していた。ケンカをしている者がいたら諫め、弱い者がいじめられるとその子をかばう。私など何度も助けられたものだ」
1986年、当時反米姿勢をむき出しにしていた独裁者カダフィ率いるリビアに対し、アメリカは空爆を行なった。カダフィが背後で動いていたとされるテロ事件が頻発するなか、西ベルリンのアメリカ兵の集まるディスコ、ラ・ベルにおいて爆弾テロが発生し、アメリカ兵1人が死亡、その後もう1人が病院で死亡した。
レーガンが激怒したのは言うまでもない。フランスやスペインがカダフィの報復を恐れ、アメリカの攻撃に際し自国の領空を使わせないなか、同盟国としての国益を考え、ただイギリスのサッチャーだけが、この決断を支持し、アメリカにイギリスの空軍基地を提供した。
サッチャーの協力なくては空爆そのものが難しかったはずだが、両者の連携によってリビアの首都トリポリとベンガジの空爆に成功。カダフィは縮み上がったという。以来、カダフィはテロから手を引いた。
この一件を見ると、いまの指導者たちとの落差に愕然とする。