「こんな君が代は聞いたことがない」というテレビキャスター・鳥越俊太郎氏の一言が波紋を広げている。君が代にパンパシフィック水泳の表彰式で、前奏がつけられて演奏されていたことに疑問を呈したものだ。知らぬ間に君が代が変えられていたと違和感を覚えた年配世代に対し、若者世代は当然として受け入れている。さて、どちらが正しいのか──。
1999年に成立した『国旗及び国歌に関する法律』(国旗国歌法)によると、君が代に「前奏はない」とされている。同法を所管する内閣府官房総務課が答える。
「国歌としての君が代に前奏はなく、主旋律のみの楽譜です。慣習的に国歌として採用されていた明治期には、前奏あり・なしの両パターンが演奏されていました。その慣習は否定できないので、前奏をつけて演奏しても罰則はありません」
法律制定の過程で前奏の有無は議論されたのかどうかは、「資料がなく、お答えできません」(内閣府官房総務課)という。
識者の間でも賛否が分かれる。「前奏あり」に疑問を呈すのは前出の鳥越氏だ。
「冒頭のフレーズを繰り返す意味がわかりません。斉唱しやすいように前奏をつけるのは構いません。しかし、国際大会で正式な国歌と違う形式で演奏するのはいかがなものか」
神道学者の高森明勅氏は、「違和感なし」との見解だ。
「君が代に前奏があるのは別におかしなことではないと思います。歌い出しや声の高さを揃えるには、前奏があるほうが理に適っています」
高森氏の主張の根底には、「国民たるもの、あらたまった場で国旗が掲揚され、国歌が流れれば、声を出して歌うべき」という考え方があるという。
「最初から『国歌は歌うもの』と念頭にあれば、前奏に違和感など生じません。たとえばサッカーの国際試合では、試合前の国歌演奏で選手も観客も国歌を歌います。それが世界共通のマナーなのです。『同じメロディが二度流れるのはおかしい』というのは、『国歌は聞くもの』と思っているからではないでしょうか。そこに戦後的な感覚を感じます」