キノコ生産大手「雪国まいたけ」(東証2部上場)が、ほのぼのとした響きの社名に似つかわしくない経営バトルを繰り広げている。
この10か月の間に2度の社長交代。そこには「中卒叩き上げのワンマン創業オーナー」と「利益とコンプライアンスを重視する外部登用のエリート経営陣」の間の埋めがたい深い溝があった。
「動議、動議。議長交代!」
6月27日10時、新潟・南魚沼市のホテルで開かれた株主総会は冒頭から動議の連呼だった。
社長の星名光男が議長席に就こうとすると「議長交代」の動議がかかった。規定に従って別の取締役が議長席に座ると即座に「動議」。全役員の議長就任が退けられると、株主から議長が選ばれることになった。
怒号飛び交う中、立ち上がって議長席に向かったのは、前社長で、過半数の株式を握る創業オーナーの大平喜信だった──。
大平は新潟県六日町(現・南魚沼市)の貧しい農家の長男として生まれた。中学卒業後、工場勤務などを経て「太もやし」の栽培に取り組むが、一家心中を考えるほどの極貧を味わう。
その後、人工栽培が難しい高級品種「まいたけ」に挑んで成功し、1983年、35歳で「雪国まいたけ」を創業、まいたけを低価格で提供した。現在、まいたけのシェアは国内で50%以上を誇る。
大平は裸一貫から会社を年商約300億円、従業員数約1900人、東証2部上場まで育て上げた立志伝中の人物だ。地元の南魚沼市内に13階建ての自社ビルを建設し、20部屋もある豪邸を建てた。
右肩上がりの業績と、高度な栽培技術と、食の安全への絶対的な自信。その半面、「公私混同」「超ワンマン経営」が指摘され、冒頭の迷走へと繋がった。
「混乱のきっかけは、2010年9月、大手自動車メーカーで最年少役員になった東大卒エリートのA氏を役員に迎え入れたこと。大平さんに学歴コンプレックスがあったからか、A氏への信頼は厚く、経営の多くの権限をA氏に委ねた」
と同社幹部は話す。A氏は経営合理化の名の下に人事権を握って次々に組織を改編していった。だが、それが同社プロパーの幹部の目には「農業もキノコ栽培も何にもわかっていない」と映った。
「あわてた大平さんはA氏の権限を取り上げ、2013年6月の株主総会で退任させることにした。すると、A氏は反撃に出た。
あらゆる経営データにアクセスする権限を与えられていたので、大平社長を退任に追い込むために、過去の不正経理の情報を金融庁、東証、取引銀行に内部告発したのです」(同前)