朝日新聞社長による謝罪会見へつながった「吉田調書」問題。先鞭をつけたのは、週刊ポスト6月20日号(6月9日発売)が掲載したジャーナリスト・門田隆将氏によるレポート〈朝日新聞「吉田調書」スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ〉だった。門田氏は、福島第一原発所長だった吉田昌郎氏を生前、唯一インタビューしたジャーナリストである。朝日新聞が書いた「所長命令に違反 原発撤退」はあり得ないと主張した門田氏に対し、朝日はどう答えていたか。改めて、全文を紹介する。
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(門田隆将 朝日新聞「吉田調書」報道の罪 全文掲載【1/6】のつづき)
故・吉田昌郎氏は大震災の時、1号機から6号機までの六つの原子炉を預かる福島第一原発の所長だった。
刻々と悪化する事態に対処するため、免震重要棟の緊急時対策室に陣取り、時に官邸、また時には東電本店とも激しくやりあい、昼夜の別なく、現場への指示を出しつづけた。
海水注入中止といった官邸サイドと東電本店からの命令を拒否して冷却のための海水注入を続行させるなど、部下を鼓舞して事故と闘った人物である。体力、知力、そして胆力を含め、あらゆる“人間力”を発揮して「日本を土壇場で救った一人」と言えるだろう。
昨年七月、食道癌のために吉田氏は五十八歳で亡くなった。強烈なストレスの中で過酷な事故と闘い、日本を救うという自身の使命を果たした上で、事故から851日目に“戦死”したのである。
私はその吉田氏が死後、特定のメディアによって貶められていることを哀しく思う。しかも、それが事実とは程遠いものだけに、余計、虚しいのである。自分の意図に反して貶められた吉田氏とご遺族の思いを想像すると、本当に胸が痛む。
私は朝日の記事を読みながら吉田氏に取材した時のことを思い出した。吉田氏は取材に答えながら、自分の記憶違いや時系列的な混同があることを懸念し、私にほかの方々の取材によって事実関係を確認してくれるように何度も頼んだ。それに従って、私は多くの関係者に取材をおこなった。
今回、朝日新聞が報じている政府事故調の手になる「吉田調書」は、長時間の聴き取りに応じたものの、吉田氏が第三者への公表を固く「拒んだ」ものである。
理由は明快だ。自分の勘違いによって「事実と違うこと」が定着することへの危惧があったからである。そして、吉田氏は以下のような上申書を提出している。
〈自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げましたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、様々な事象に立て続けに対処せざるを得なかったことによる記憶の混同等によって、事実を誤認してお話している部分もあるのではないかと思います〉
そして、話の内容のすべてが、〈あたかも事実であったかのようにして一人歩き〉しないかどうかを懸念し、それを理由に〈第三者に向けて公表されること〉を強く拒絶したのだ。昼であるか夜であるかもわからない、あの過酷な状況の中で、吉田氏は記憶違いや勘違いがあることを自覚し、そのことを憂慮していたのである。
しかし、朝日は、その吉田氏本人の意向を無視し、調書に残されていた吉田氏の“言葉尻”を捉え、事実とはまったく「逆」の結論に導く記事を掲載している。