現在、人気沸騰中の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)。頼れるリーダー役の太川陽介、自由奔放な蛭子能収、そして個性豊かなマドンナたちの台本抜きの掛け合いが視聴者の支持を集めている。9月13日には第18弾が放送されるが、同番組がここまで人気化したキッカケはどこにあったのか。新刊『ルイルイ仕切り術』(小学館)を上梓したばかりの太川が、同番組の誕生秘話を紹介する。
* * *
最初に『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の話をいただいた時、プロデューサーは、「本当にまったく台本のない旅番組をやりたい」っていっていたんです。
たしかにその気持ちはわかるんですが、その話を聞いた時、ボクはいいましたよ。「本当にそれでいいんですか?」と。だって、「それをやってしまったら、今まで放送されてきた旅番組すべてを否定することになりませんか? 自分で自分の首を絞めることになりませんか?」って。
でもプロデューサーは、「やりたい!」と。だけど最初は絶対にそんな番組が成立するわけはないと思っていたんです。
第1弾の収録前の顔合わせがボクと蛭子さんとマドンナであって、それで一通り打ち合わせをした後、マドンナと蛭子さんは帰ったのですが、ボクはその場に残ったんです。だって、絶対に正解ルートだったり泊まるところだったりを、こっそりボクに教えてくれると思ってましたから。それがテレビの旅番組というものだと信じてましたから。
ところがひとりで残ってたら、「太川さん、まだ帰らないんですか?」って不審そうにスタッフが聞いてくる。それでその時に初めて、「あっ、本気なんだ!!」って思ったんです。
とはいっても第1弾の時は、今に比べるとちょっとしたヒントがスタッフから漏れ伝わってきたんですよ。なんとなくスタッフの雰囲気から、こっちのルートが正解なんじゃないか?って。それもあったのか、第1弾は無事にゴールまでたどりつけたんです。
ところが第2弾になると、そんな情報がさっぱり漏れてこない!! おそらく1本目を見たプロデューサー、ディレクターが、この番組は本当になにも情報を与えないガチのほうがおもしろくなるって気付いたんでしょうね。ただルールは今みたいにキッチリしたものが確立しているわけではなく、とても緩い、あやふやな感じではあったんです。
この時は東京の日本橋スタートの京都の三条大橋がゴールなんですが、途中の静岡あたりだったと思います。バスもないしその日どこに泊まるかもキツくなってきたんです。するとディレクターがボクに相談にきまして、「ここだけ、ロケバスで移動しますか?」っていうんです。今だったらとてもじゃないけどそんなことしませんが、この時はまだ第2弾。まぁテレビだしそれもいいんじゃないの? っていう空気はあったかもしれません。