美智子皇后が民間から初めて皇室に嫁がれ、55年の歳月が過ぎた。ご成婚で国民は“ミッチーブーム”に沸き、熱狂し、いまも慕われ敬われている。なぜ国民は美智子皇后の眼差しに畏敬の念を覚えるのか。美智子皇后と平成日本の深い繋がりを佐野眞一氏が記す。
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今夏、日本最高気温を記録した群馬県館林市が、戦時中、皇后陛下の疎開先だったことを知る人はもうあまりいない。
2008年4月、天皇・皇后両陛下は美智子妃の父・正田英三郎氏の出身地でもある館林市を行幸啓した。この日の両陛下の公式日程は、同じ群馬県内の太田市や大泉町を訪れ、そこの自動車部品工場などで働く日系ブラジル人労働者たちと懇談することだった。
その帰路立ち寄った館林市役所で、皇后と疎開生活を共にした約20名の同窓生との懇親会が開かれた。しかし、この懇親会については一切事前発表されなかった。皇后はなぜ自分のスケジュールをそこまで秘密にされたのか。
今から60年以上も昔の疎開生活を語り合う同窓会をもったとしても、皇后は公務にプライベートな時間を持ち込んだと言って非難する日本人は一人もいないはずである。その謎は、宮内庁幹部との面談でようやく解けた。
「2008年は日本からブラジルへの移民が始まってちょうど百年目にあたります。ところが、海外の日系人について監督ケアする組織がない。両陛下はその空白部分を担うことをいつも強く自覚されています。皇后陛下が同窓生との懇親会について発表を控えさせたのは、大きく報じられると、本来の目的である日系ブラジル人への表敬訪問が薄れると思われたためだと思います」
これには驚いた。皇后はいつもそこまで“政治”に抵触しないよう気を配りながら行動されていたのか。皇室は政治に直接タッチすることは厳しく制限されている。わかりやすくいえば、天皇皇后はいつも政治という“ストライクゾーン”に入らないぎりぎりの球で行動するよう万全の配慮をされている。