言葉の力が急速に失われつつある。政治家からも、文化人からも、その場の空気に流されたかのような言説しか聞かれない。しかし、この人の言葉にだけは耳を傾けたくなるのはなぜだろうか。
NHKの連続テレビ小説『花子とアン』のナレーションでおなじみの美輪明宏氏(79)。戦中、戦後をしなやかに生き、数多の時代の先駆者たちと交遊をもってきた〝麗人〟に、ジャーナリスト・青木理氏が「この国の行方」を聞く。
──美輪さんの過去の交遊録を通じて、過去と現在の日本について、考えられないかと思っているんですが。
美輪:若い方はご存じないかもしれませんけれど、幸田文さんは女っぷりが良かったですね。(父で作家の)幸田露伴に仕込まれただけのことはあって、立ち居振る舞いも審美眼も、そして言葉がとてもきれいでいらっしゃった。
──言葉、というと?
美輪:私も戦前生まれですが、特別な家でなくとも言葉はとても大事にしてました。「なんですか、その口のきき方は」って怒られましたから。
ひとつが鼻濁音の使い方。いま私、『花子とアン』(NHK連続テレビ小説)のナレーションをやっていますでしょう。最後に「ごきげんよう、さようなら」って言うんですけど、その「ごきげんよう」が他の人たちと違うのはなぜって聞かれるんです。それは「がぎぐげご」が言葉の最初にきた時は濁音でいいんですけど、二番目より後にきた場合は(鼻に抜ける)鼻濁音にする。そうすると言葉がまろやかで、失礼にあたらないっていう教育。昔は当たり前だったんですけどね。