【著者に訊け】下村敦史/『闇に香る嘘』/講談社/1550円+税
9度目の正直、にしては肩の力の抜けた新人である。このほど、第60回江戸川乱歩賞受賞作『闇に香る嘘』を晴れて上梓した下村敦史氏(33)は、2006年から同賞に毎年応募すること計9回。うち最終選考には5度残り、〈常に自分の苦手な部分、弱い部分を向上させようという明確な目標を持って一作一作書き続けてきたことが今作の受賞に繋がったのだと思います〉と、何とも素直な受賞の言葉を綴る。
題材のハードルは高い。主人公〈村上和久〉69歳は41歳で失明した元カメラマン。満蒙開拓団の一員として渡満した両親の下に生まれ、4歳の時、母と命からがら帰国した彼には、生き別れた兄がいた。27年前、中国残留孤児として再会を果たした〈竜彦〉である。しかし彼はその血縁を今になって疑い始める。〈兄は本当に兄なのだろうか〉と。
疑念の端緒となった孫娘の生体腎移植や、開拓団の名を借りた棄民政策の実情、そして視覚障害者が語り手を務めるミステリーという難題にも、氏は果敢に挑む。誰が嘘をつき、自分を欺いているのか―視覚を奪われた探偵は残る嗅覚、聴覚、味覚、触覚で、真相を突き止めるしかないのだから。
「元々ミステリーは好きでよく読んでいたんですが、ある時、中学時代の友人に『実は小説を書いている』と告白され、『お前も書け』という話になった。ところが僕は書く方は大の苦手で、最初は僕のプロットを彼が小説にする関係が1年続き、ようやく書き方がわかってきた頃、今度は友人の方が家の事情で執筆を諦めざるを得なくなってしまって…。
その友人の夢を、今は僕が引き継いだ感じがあって、彼は受賞後、『頑張れば夢は叶うと証明してくれ嬉しい』とメールをくれました」
これまでの応募作もスペインの女闘牛士やカンボジアの地雷除去、日系ブラジル移民まで、題材は幅広い。
「とにかく魅力的な物語になりそうなテーマを幅広く、僕自身が見識を広げたくて調べてはいる。本作で言えば、残留孤児について調べるうちに、再会した相手が後々他人と判明した悲劇的ケースを知り、ずっと家族だと信じていた人間が他人かもしれない時、人は何を信じようとするのかという疑問が、最初の着想でした。
今までの候補作はどれも映像的描写を評価していただいたので、今回は技術を磨くためにもあえて視覚的な描写を封印した。視覚障害者がどんな生活上の問題や〈恐怖〉と直面しているかも含めて、専門書は70冊以上、読んだと思います」