作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏は、原作へのことさら深い思いにしばし浸りながら、ドラマを観ていたという。同氏にとって、物語のエンディングはどう映ったか。
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いよいよ最終回を迎えたNHK朝ドラ「花子とアン」。この最終週に、サプライズが仕込まれていた。出版のメドも立たず翻訳から何年もが経過し、お蔵入りとなっていた『赤毛のアン』の原稿が、いよいよ陽の目を見るかというクライマックスシーン。
出版を決断した小鳩書房社長・門倉幸之介を演じたのは、なんと脳科学者・茂木健一郎さんでした。実にトリッキーな配役です。
そりゃ日本には、文化人が芝居をする「文士劇」というお遊び的な伝統もあるし、茂木さんは『赤毛のアン』のファンということをあちこちで表明してきた。でも、だからといって……半年間も続いたアンのお話のオチがこれ?
『赤毛のアン』の運命が決まる重要なシーンで、小鳩書房社長が延々と吐く素人の棒ゼリフ。思わず耳をふさぎたくなったのは私だけではないはず。その後の番組「あさイチ」でも、NHK解説委員・柳沢秀夫さんがつい「棒読み」と口走ってましたし。
シャレの効いた登場の仕方ならまだわかる。ただ立っているだけとか、一言二言とかならまだしも。素人が演じるには台詞の量が多すぎ。露出しすぎ。重要なシーンすぎ。演出の仕方も、話のもって行き方も、無理無理だらけ。
この雰囲気、どこかで見たことがある……。茂木さんの棒ゼリフを聞きながら、私はふと気付きました。そうだ、これはコントだ。
速成の寸劇、あの感じ。笑いをとる即興劇のあの空気。飛び込みで登場したゲストの素人くささが、むしろ笑いにつながっていくあの感覚。しかし、ここは笑わせるシーンではない。そもそも、笑いをとるドラマではない。大切なクライマックスのはず。
クライマックスという言葉は、あらためて辞書で引くと「最後の最も効果的な箇所」(旺文社英和中辞書)とあります。原語は「傾ける」という動詞に由来するギリシア語klimax(はしごの意)。それを登って頂点に行くこと。つまり、頂点に達すること。でも、これじゃあ頂点に「登る」どころか、下っていませんか?
テレビドラマが多くの人の気を惹きたいと考えるのはわかるけれど、ふざけてもよいタイミングとそうではないタイミングがあるかと。と、真面目に論じている自分に空しさを感じてしまう。こんなもんさと、笑い飛ばせばよいのでしょうか。