プロ野球はレギュラーシーズンが終わり、球団によっては戦力外通告をされる選手も出てきた。プロ野球選手の「第二の人生」とはどのように得られるのか。ある元プロ野球選手に聞いた。(取材・文=フリーライター・神田憲行)
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西谷尚徳さん(32歳)は元楽天イーグルスの選手だった。球団創設一年目の2004年秋のドラフトに内野手として4位で入団したが、ケガで悩まされ4年目に戦力外通告を受けた。トライアウトを経て翌年阪神タイガースの育成選手となるが、10年に解雇されそのまま引退する。通算6年のプロ野球生活だった。
そして今西谷さんは立正大学法学部の特任講師として、教壇に立っている。教えているのは野球でもスポーツでもなく、「日本語表現」だ。
待ち合わせ場所に現れた西谷さんはスマートなスーツ姿で、贅肉のない体格の良さ以外、かつてユニフォームをグラウンドにいたとは想像しづらい。鞄から自分で書いた日本語表現に関するテキストを2冊出して紹介してくれた。内容は文章の読み方・書き方の基本から始まり、引用文献の表記の方法、表現のテクニックなど細かいところにまで及んでいる。
「まず大学1年生対象のアカデミックライティングといって、論文やレポートの書き方を教えています。また2、3年生対象に公務員や教員採用試験を意識した小論文講座ももっています。週に16コマぐらい教えています」
明治大学文学部文芸学科卒という学歴は野球選手では珍しいだろう。スポーツ推薦による入学だったが、「教員免許が取りたい」と文学部を志望したという。
「教育に興味があったのは、親と鷲宮高校時代の恩師・高橋和樹先生の影響が大きいです。野球部では主将を務めて、国語の教員免許も取ることができました」
そのまま卒業後に教育界へと考えていたときに、楽天からのドラフト指名だった。西谷さんは大学時代に左腕を「真っ二つになるぐらい」の骨折と右肘の故障を経験していた。素質はあっても故障持ちということで他球団のスカウトが躊躇するなかでの指名だった。
「悩んで悩んで悩みました。右肘がどこまで回復しているのか自分でも半信半疑でしたから。それでも子どものころからの憧れですから、数年でポシャッてもいいやという気持ちで入りました」
判断の背景には、西谷さん特有のプロ野球観があった。
「プロ野球選手も、いくつかある仕事の一つ、ぐらいの感覚なんです。入団すると新人でもステータスシンボルで高級外車を即金で買う人とかいるんですが、僕は車は道具なんで国産車を税金対策でローンで購入しました。プロ野球選手は個人事業主ですから、税金関係は勉強しましたよ。『お前、変わってる』とかよくいわれましたけれど(笑)」
社会人・大卒新人は「即戦力」として期待される。だが、西谷さんは「即戦力とかとんでもない世界でした」と笑いながら手を振る。
「最初のキャンプで大島公一さんのキャッチボールを見ただけで衝撃を受けました。ボールをグラブで取る、その球を右手に移しかえる、そして投げる。一連の動作が流れるようで、今まで自分がしてきた野球と全く違うんです。普通の人なら見てもわからないかもしれませんが、やってきた人間なら職人と見習いぐらいの差があることがわかるんです」
そのキャンプでまた右肘を痛めて遊離軟骨の除去手術を受けた。翌年1軍に昇格したが、3年目に今度は靱帯の損傷で移植出術。リハビリだけで1年間を棒に振った。いつまで野球選手でいられるかわからない。漠然とした不安を現実に捉え始めて、西谷さんが選んだのは通信教育による大学院入学だった。リハビリ中の合間に図書館に通って勉強し、翌年通信講座を受講し、2年間かけて教育学の修士を取った。