【著者に訊け】朱川湊人氏/『月蝕楽園』/双葉社/1500円+税
ノスタルジックホラー、そして短編の名手としても知られる直木賞作家・朱川湊人氏(51)は、恋愛を描いても何かが怖くて懐かしい。懐かしさとは本来親しさ、愛しさに発生する感覚だと聞くが、それが怖さと共存するのが厄介だ。最新短編集『月蝕楽園』でも、作中の愛や狂気が遠くにあるならまだしも、読者の中にも身近にあるものとしてヒリヒリ迫ってくるのだから…。
例えば第1話の「みつばち心中」。主人公〈美也子〉は事務用品会社で現在主任を務める入社20年のいわゆるお局様。〈私は恋をしたことがない〉と断言する彼女がある人物の〈指〉に魅せられ、堕ちてゆく顛末を描く。
単なるフェティシズムと一蹴もできるが、人に恋することと指に恋することの、何が違うというのだろう。または男が男、人が蜥蜴(とかげ)に思慕や欲情を抱く時、愚かしくも切ない5つの物語が、今、ここに生まれる。
「自分では僕の子供時代にあたる昭和40年代を、たまたま書くことが多かったという感覚なんですけどね。最近は何を書いても昭和を期待されるので、その球はもう二度と投げないぞって、臍(へそ)を曲げたくもなる(笑い)。
元々僕は『人は何のために生まれてくるのか』とか、感情全般に興味があって、懐かしいとは要するに自分の体に馴染んだ布団みたいなものですからね。いつもの帰り道で不思議なものを見たり、友達や身近な大人の意外な悪意を垣間見たり、子供の頃は特に怖いと思わなかった出来事が今になって怖くなることも含めて、僕らは懐かしいんだと思う。
その怖い方だけに蓋をするのはおかしいし、恋愛にしても、決して美しいばかりではない、と思うんです」
美也子の場合、同じ課の後輩〈千佳〉を、まず病院に見舞うことが怖かった。現在休職中の千佳はスキルス性の胃癌で、余命も短いと宣告されている。美也子にやんわり退社を勧めてほしいと請う課長の偽善も鼻につくが、憂鬱なのは千佳と2人きりになることだ。
それは2年前の春のこと。課内の宴会で酔いつぶれた千佳を、美也子は仕方なく家に泊めた。千佳にベッドを譲り、寝付けずにふと見ると、ベッドから右手がはみ出している。
〈それを見た瞬間――あぁ、あれはまったく理屈ではない〉〈千佳が十分深く寝入っていることを確かめて――その先端を、そっと唇でくわえてしまったのである〉〈その瞬間、千佳の指先から流れ込んできた電流のような熱さを、私は忘れることができない。背中から首筋にかけて、勢いよく皮を引き剥がされたような寒気を感じた〉……。以来美也子は千佳に金まで貢ぎ、指恋しさに何でもする下僕と成り果てたのだ。