雅子妃の11年ぶりとなる宮中晩餐会出席は世界の注目を集めた。英国のタブロイド紙『デイリーメール』の10月31日付の記事の見出しはこうだ。
〈世捨て人の雅子皇太子妃が、オランダ国王夫妻の来日中に稀な姿を見せた〉。
欧米メディアは「キャリアウーマン」の雅子妃が皇室に嫁いで「孤独な闘い」を続けてきたと捉える報道をしてきた経緯があり、同妃の適応障害の闘病についても、皇族特有の問題があるのではないかと率直な疑問を投げかけてきた。いま海外メディアに平成皇室はどう映り、その報道は平成皇室にどのような影響を及ぼすのか──。
「実際、1993年に皇太子の結婚相手は小和田雅子さんとスクープしたのは米紙『ワシントン・ポスト』だった。雅子さまもご自身に批判的な論調が目立つ国内メディアより、率直な海外メディアの報道のほうが気になるようです」(ベテラン皇室記者)
海外メディアの報道に過敏になるのは宮内庁も同様だ。「海外からの視点」は皇室をめぐる論議に大きな影響を与えてきた歴史があるからだ。
1993年のロイヤル・ウェディング後、なかなか表舞台に登場しない雅子妃に海外メディアは徐々に失望の色を強めた。1995年、仏ロイターは、〈かつては溌剌としたキャリアの外交官だったが、日本の宮廷の硬直した儀礼の世界に引きこもってしまった〉と報道。1996年に米誌『ニューズウィーク』は〈金ピカの窮屈な鳥かごの中のプリンセス〉と題して、雅子妃の姿が見られるのは〈列車や車に乗るときだけ〉と報じた。
その批判は皇室と宮内庁に向かった。
「雅子さまは活躍の場を求めているのに、それを許さないのは日本的な男尊女卑の考え方であるという指摘です。王妃や王女が華やかに活動する欧州の王室を規準にすれば、日本の皇室が特殊に映るのは仕方ないが、それを日本メディアが引用したことで、国内にも皇室のしきたりや宮内庁の姿勢に疑問を呈する声が広がった」(同前)