政治家、官僚、企業、マスコミという「表」と、暴力団、総会屋、仕手筋、地上げ屋という「裏」が渾然一体となったバブル経済以降、様々な事件が起きた。リクルート事件、東京佐川事件、ゼネコン疑獄、第一勧銀総会屋事件、大蔵・日銀接待汚職事件……。それら事件の裏側には必ず、「最後の情報フィクサー」と呼ばれた男がいた。
石原俊介──。情報誌『現代産業情報』発行人の石原は2013年4月、71歳の生涯を終えた。一般には無名でも、メディアの記者の間で知らぬ者はなく、報道がタブーに切り込む際に欠かせない「案内人」だった。
その生涯を追ったノンフィクション『黒幕』(小学館刊)が11月18日に上梓された。石原はどんな「日本のタブー」を捌いてきたのか。著者でジャーナリストの伊藤博敏氏がレポートする。(文中敬称略)
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福島第一原発事故が起こるまで「東京電力」「原発」はメディアが容易に報じることができないタブーだった。東電がメディア各社に莫大な広告費と購読料を支払うことで反原発報道を抑え込んできたからだ。
石原は東日本大震災後も東電の「顧問」を務め、年間600万円の報酬を受け続けたことが示すように、東電中枢に深く食い込んでいた。
それでも石原は疑惑を隠蔽することはしなかった。むしろ原発のタブーに切り込むメディアに情報を与えて報道をコントロールした。その姿勢は3.11以前から一貫していた。
「勝俣(恒久・東電社長。肩書きは当時、以下同)ルートを知っているか」
2006年8月、私は石原にこう声をかけられた。