俳優・武田鉄矢といえば、やはり『3年B組金八先生』(TBS系)での坂本金八役の印象が強い。第8シリーズまで制作され、32年続いた同ドラマ撮影時を振り返った武田の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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1979年に始まったテレビドラマ『3年B組金八先生』は、武田鉄矢の代名詞ともいえる作品となった。
「初めて話が来た時は、夜の8時台で主役が出来るということへの嬉しさだけでした。
やっていくうちに気合いが入っていきましたね。山田洋次イズムといいますか、『幸福の黄色いハンカチ』で山田監督に叱咤激励された言葉が満ちていて、リハーサルから一生懸命やろうと必死でしたね。ただ、最初のシリーズではガキが懐かなくて。でも、僕も媚びませんでした。子供って敏感だから、追いかけると逃げるんです。三か月過ぎたあたりから変わり始めました。少しは人間として信頼してもらえたのかな。
それで、ディレクターには『よーい、はい』で本番を始めるのはやめてくださいと頼みました。僕が教室に入って『起立、礼』という時の、いいところから回してください、と。それをやると、凄くナチュラルに撮れるんです。
それで、子供たちもADより僕の言うことを聞くようになりました。ただ、後半になっていって、問題も起きました。演出家がある子供に『お前、そこで転べ』とか言った時に、『この子はできません。転ぶんだったら、こいつができます』と僕が言ったんですね。
それで『金八が生徒を可愛がりすぎて演出家に指を触れさせない』と演出家たちの間で問題になりました。その時は脚本家の小山内美江子さんに『3Bのことは全て金八先生に従うように』とおっしゃっていただいて。嬉しかったなあ。
ラストシーンは全員が泣いちゃってね。杉田かおるまで泣いていた。彼女は15歳にして女優だったから、一回も油断したことはありませんでした。そんな彼女まで泣くんですから」