――喋りのリズムの良さは、ラジオなどでつちかわれた話芸によるものでしょうか。
毒蝮:話芸なんてわかってやってるわけじゃないから、言われるのは恥ずかしいよ。ただ、上あごと下あごとぶつかり放題に喋っているだけなんだから(笑)。俺はそういうのが得意だったからね。
――得意な喋ることを仕事にしようと、最初から考えていらしたんですか?
毒蝮:役者をやっていたけれども、『笑点』で2代目座布団運びをしていたとき立川談志から「お前は台詞覚えが悪いし、間違えるし、歌えば声がひっくり返る。だけど喋っていれば、みんなが聞き入って笑う。楽屋で師匠連も喜んでいるんだからスタンダップコメディアンになれよ」とすすめられたんだよ。それで一番、いい商売にぶつかった。
――もって生まれた喋りのリズムの良さを見抜かれていたんですね。
毒蝮:俺のしゃべりはリズムだと談志は思っていたんだね。談志の落語もラップみたいなものでリズムがいい。もし俺が今回、参加した曲を談志が聴いても驚かないだろうね。「おい、一番、似合っていることをやってんじゃねえか」って言ったかもしれないね。
――喋りのどんな部分がウケたんだと思いますか?
毒蝮:俺の喋りは「白いごはん」だって言ってるんだよ。白いごはんには流行も何もないよな。そしてラップはふりかけ、トッピングだよ。俺という白いごはんを焼いたり、煮たり、餅みたいに潰したりされているだけ。でも、ラップといったって実はそんなに新しいもんじゃないね。
――もともとラップと変わらないものがあったのでしょうか。
毒蝮:宮中では万葉集の時代から歌会があって、今でも新春に歌会始をやるよね。そこでは和歌を『からころも~』とか節をつけて歌う。文字だと見えている人にしか届かないけど、歌うと文字が読めない人にも届く。何百年も何千年も前から、人間は歌ったり、節をつけて言葉を喋るということを古代から続けてきたと思う。だから、新しいことはないよ。
しかし、ラップというのは音楽家といえるのかね(笑)。楽器やらないだろう。できている音楽を、ごちゃごちゃこねくりまわしているだけで、変な職業だなと思うよね(笑)。
●毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)本名・石井伊吉。1936年生まれ。東京出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。1938年に12歳で舞台デビューし、映画やドラマに出演。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』では地球を守る隊員として子どもたちの人気者に。1968年に現在の芸名に改名。2014年12月発売の『ENAK DEALER』(DJ JET BARON)収録曲「おもしろおじさん feat. CHOP STICK, 丸省 and 毒蝮三太夫」で18年ぶりに音楽活動に参加。1969年10月から続くTBSラジオ『ミュージックプレゼント』のパーソナリティは46年目を迎えた。