今年も1月4日に新日本プロレスが東京ドーム大会を開催する。1992年から毎年、同じ日付で行われるこの大会は、1月2日・3日と全日本プロレスが行う後楽園ホール大会とあわせ、プロ野球より早く新年を告げる初詣イベントだ。しかし、20年前と比較すると、新年恒例行事として人々に語られることが少なくなり、プロレス人気が復活していると言われていても認知の低さは否めない。いったい20年前と何が異なるのか。
「それほど興味を持っていない人にとっても、目が離せなくなるような存在感を持つ圧倒的なスターが不在です」と『1964年のジャイアント馬場』(双葉社)でジャイアント馬場の生涯を通して、日本のプロレス史を描いた柳澤健氏は言う。
「アントニオ猪木や長与千種のような、国民的スターと呼べるようなプロレスラーがいません。スターというのは、それほど興味がない人でも思わず見てしまうような存在。表現されるものが違います」
確かに、猪木や長与はその場に立つだけで思わず見つめてしまう求心力があった。
「彼らは、一つの強くて大きな思いを長年にわたって持ち続け、その普通ではない思いの強さが人の目を引きつけた。それは、新弟子時代に虐げられたことへの恨みだったり、貧しく厳しかった幼少時代への鬱屈だったり、プロレスというジャンルに限らずとも、現代では強くため込むのが難しいものかもしれません」(前出・柳澤さん)
確かに圧倒的な存在感のスターが生まれることが、プロレスが国民的娯楽として復活するにはもっとも手っ取り早いだろう。しかし、それは当たる見込みが薄い宝くじが当たる日を待ち続けるようなもので現実的とは言いづらい。どんな道があるのかと思いをめぐらせると、20年前の新日本プロレスにヒントはあると前出の柳澤さんは言う。
「当時、新日本プロレスの道場にはアントニオ猪木の写真とともに、武藤敬司の写真が飾られていました。猪木は新日本プロレスの創業者として、武藤は全国ドームツアーなどを成功させるほど新日本プロレスを隆盛させた中興の祖として考えられていたんです。
抜群の運動神経をもち、柔道の強化選手で日本代表を考えたこともある武藤にとって、プロレスは割り切ってやるものだった。どこまでが真剣で、どこまでがビジネスなのか判然としない猪木とはまったく違うタイプです。それでも、多くの人を魅了する表現者だった。猪木のような存在は難しいと思いますが、魅力的な表現者であると知ってもらうことは、プロレスに目を向けてもらえるきっかけになると思います」