高校時代に名遊撃手として名を馳せた鎌田実氏は、1957年の大阪タイガース入団後、二塁手へ転向。史上最高の遊撃手と評価される「牛若丸」吉田義男氏とのコンビは、「ノックだけでカネを取れる」と称えられた。三塁の三宅秀史氏とともに形成した内野は「鉄壁の内野陣」と呼ばれた。現在は中学生もふくめたアマチュアへの指導も手がける鎌田氏が、日本で初めてバックハンドトスを繰り出したときのことを語った。
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僕が阪神に入団した時には、4年先輩の吉田義男さんはすでに“牛若丸”と呼ばれていた。吉田さんは打球への反応はもちろん、捕って投げる動きも他の選手よりワンテンポ早く、合わせるのが大変だった。二塁手として吉田さんのプレーについていくまでに4年かかったが、それからの4年間の阪神の二遊間は日本一だったと思います。
当時は二遊間でなく「三遊間」の時代。巨人の長嶋茂雄&広岡達朗と阪神の三宅秀史&吉田の三遊間が代表的で、少年野球ではチームで一番守備のうまい子供が遊撃手、次が三塁手をやるのが当たり前。僕も高校時代は遊撃手でした。プロで二塁になったのは、吉田さんがいたから仕方なかった(苦笑)。
強肩を活かし、広い守備範囲を動き回る遊撃手は黙っていても目立つポジション。ところが二塁手は地味で目立たない。そこでアピールするために始めたのがジャンピングスローでした。上空で反転しながら投げるのでジャンプ力が求められました。
これは当時の阪神で選手兼任監督だった藤村富美男さんの発案でした。試合前のシートノックにショーの要素を入れて観客に見せていたのです。肩の強い三塁手の三宅さんには、ライン際に鋭いゴロを、吉田さんにはクイックスローができるようにボテボテの当たりを転がす。僕には二塁ベース付近に打ってジャンピングスローをさせた。相手チームもベンチから見ているし、どこの球場でもゲーム前のシートノックは拍手喝采でした。