『電波少年』シリーズ(日本テレビ系)といえば、1990年代を代表するバラエティ番組だが、体当たり系の芸能人を多数輩出してきた。松村邦洋、猿岩石、ドロンズ、Rまにあ、坂本ちゃん、朋友などの芸人に加え、真中瞳(現・東風万智子)、ケイコ先生(現・春野恵子-浪曲師)、Something Elseなども同番組の出演経験を持つ。
2003年の番組終了後も元猿岩石・有吉弘行の再ブレイクは言うまでもなく、元ドロンズの2人(大島直也・ドロンズ石本)が飲食店経営者として成功。元朋友のチューヤンは香港に戻り著名広告ディレクターになった。
このように「元電波」はTプロデューサ(T部長)こと土屋敏男氏のムチャ振りによるアポなし取材やらヒッチハイク、80日間世界一周などに耐えた経験も影響したか、単なる一発屋ではなく、今でも活躍を続けているのである。そして、そんな「元電波」の中でも着実に活動の幅を広げているのが「電波少年的懸賞生活」でブレイクした「なすび」である。当時は、全裸でとあるアパートに放り出され、ひたすらハガキを書き続けて衣服・食事を含む生活用品を懸賞だけで賄うという過酷なチャレンジをさせられた。
現在39歳となったなすびは東京での舞台活動の傍ら、東京と故郷・福島を深夜バスで頻繁に往復しつつ、福島の復興や観光イベントなどに積極的に参加中。地元では絶大な人気を誇り、福島の復興のシンボル的存在となっている。芸能事務所には所属せず、マネジメントも一人で行っている。
「世界の頂上で福島を叫ぶ」ため、2013年から挑戦しているエベレスト登頂、通称「エベチャレ(=エベレストチャレンジ)」は2年連続失敗するが、3度目の正直のためクラウドファンディングで資金を調達。4月6日に日本を出発する。劇団の主宰・地元番組出演・さらには故郷の復興支援など活動は多岐にわたるが、『電波少年』での1年3ヶ月の経験は、現在の活動にいかに影響を与えているか。なすびはこう振り返る。
「精神力が鍛えられて、タフになりました。底が深くなったと思います。あの時はずっと一人でいて、同じ作業の繰り返しがつらかった。あの時の苦労を思えば、何でもできます。番組が終わって、精神的におかしくなった時期があって。何度も死のうと思いました。そんなこともあり、『やりたいことをやらなければ損』と思うようになりました。今は、やりたいことをやっています。舞台中心に役者活動ができていますし、幸福を追求しています」(なすび、以下「」内同)