【著者に訊け】加藤廣氏/『利休の闇』/文藝春秋/1500円+税
物言わぬ茶道具。しかし「それがそこにある理由」を丹念に繙くと、何気ない茶席の設え一つが、歴史を雄弁に物語ることに驚く。
2005年のデビュー作『信長の棺』を始め本能寺三部作で知られる加藤廣氏(84)の最新作『利休の闇』では、信長亡き後、晴れて天下を取った秀吉と、天正19年に切腹を命じられる利休こと千宗易の関係がどこでどうこじれたのかなど、数々の謎に迫る。俗にこの切腹に関しては、大徳寺の山門に設置された利休像が不敬だとして秀吉の怒りを買った等々諸説あるが、加藤氏は両者の美学や〈遊び心〉により根深い溝を見て取る。
頑なで禁欲的ですらある利休の侘茶と、より大らかで欲望に任せた秀吉の茶。そして世に〈天下壺〉とも〈付喪神〉とも畏れられた謎の逸品〈つくも茄子〉を巡る血塗られた歴史……。それこそ利休が秀吉に説いた極意、〈たかが茶道、されど茶道〉が、2人の命運や歴史をも動かすのである。
〈この物語は、茶道をめぐる秀吉と利休の蜜月と、それに続く対立関係を、主として宗及の茶会記(『宗及他会記』)により、補助的に宗久の茶会記(『今井宗久茶湯書抜』)その他に沿って記述してきた〉とある。つまり津田宗及や今井宗久、または弟子の山上宗二らの記録を元に本書は2人の出会いから訣別までを追い、時に著者自らが史料と小説部分の橋渡し役を務めるなど、虚実を明確にし、定点観測に徹する姿勢が印象的だ。
「利休自身はずぼらなのか、ろくな茶会記を残してない。だが史料がないということは小説でしか書けないわけです。一方、例えば日本史を黄金という覗き窓から覗くと(『黄金の日本史』)全く違う表情を見せるのが歴史でもあって、その茶会に誰が集い、どんな道具が使われたかを定点観測するだけで驚くべき発見がある。
歴史は都合の悪いことは隠すのが常道だから膨大な史料の中に僕がその1行を見つけた時の感激も一入(ひとしお)で、よしこれで書けるぞって」
本書に関しては2013年の夏から東大図書館や国会図書館に日参し、〈宗易逐電し、自滅す〉というその1行に実に1年がかりで出会う。
「つまり宗易が豪奢な生活を帝に叱責され、京を追放されたと、ある書簡にたった1行、しかも印刷ではなく古い写真の片隅にあった。それが本能寺の変の1年前(天正9年)のことで、結局朝廷は信長を罰したくても罰しようがないから利休を身代わりにしたわけです。
以来、京での身分回復が彼の言動を決定づけたとすれば、従来にない利休像や秀吉との関係が見えてくる。ですが取材の無理が堪えたのか、書き終えた途端、長期入院し、大晦日は頻脈で死にかけたりして、これは利休の祟りかと(笑い)」