映画やテレビドラマ、舞台などで幅広く活躍する俳優の勝野洋が芸能の世界へ入ったのは、アルバイトで始めたモデルの仕事だった。役者になるつもりがないまま出演した人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』に出演するうち、少しずつ芝居をすることに目覚めていった当時のことを勝野が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏による連載『役者は言葉で出来ている』からお届けする。
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勝野洋は青山学院大学在学中にアルバイトでモデルの仕事を始め、その際にCMで共演した俳優・大橋一元の勧めで福田恆存の主宰する劇団・現代演劇協会へ入団した。そして1974年にテレビドラマ『太陽にほえろ!』の刑事・通称「テキサス」役に抜擢されることになる。
「僕は一年だけ劇団にいたら大学に戻るつもりでいました。ですから、『太陽~』も断るつもりでいたんです。でも、『とにかく(石原)裕次郎さんに会うだけ会ってみろ』と言われて、『え、会えるんですか』ということで。
その前にテストでワンシーンだけ出ていました。藤岡琢也さんの代わりに撃たれて死ぬ役なんですが、その時は『いやあ、記念になった』と。で、次に裕次郎さんのところに挨拶に行ったら、それで最後ですよ。そこからもう抜けられなくなって、自分の意思と違う方向に行くことになりました。
劇団にいる時も興味がなくて、基礎的なことは何もしていませんでした。現場で恥をかき、皆さんからいろいろと言われながら覚えていったという状態でした。『俺は芝居できないし、なまりもあるから無理ですよ。皆さんに迷惑をかけます』と言っていたんですが、周りは『いいから、いいから』って。それで現場に行ったら、やっぱり待たせることになってしまいました。今どこを撮っているのか分からなくなることもありましたから。
その世界自体が分かっていなかったから、やれたのかもしれません。分かっていたら、好きでもないのに入れませんよ」