【著者に訊け】片岡愛之助氏/『愛之助が案内 永楽館ものがたり』/集英社/1400円+税
役者は顔、そして肉体が、二度とはない「今」、一瞬の輝きを体現する。それでこそ歌舞伎は数百年もの間、脈々と生き続けてきたのだ。
上方きっての人気役者・六代目片岡愛之助氏(43)は、だから兵庫県豊岡市に現存する近畿最古の芝居小屋・出石永楽館(いずしえいらくかん)に惹かれるのだろうか。その再生にかける市民の情熱に打たれた氏は、2008年8月の柿落(こけらおとし)公演以来、毎年「永楽館歌舞伎」で座頭を務め、昨年は〈コウノトリの郷〉豊岡に因んだ新作歌舞伎『神の鳥』(作・演出/水口一夫)を披露するなど、あえて初役に挑んできた。
〈但馬の小京都〉がかつての賑わいを取り戻すために、役者や作家、ボランティアや市長までが一丸となった7年余りの軌跡を清水まり氏との共著『愛之助が案内 永楽館ものがたり』は綴る。
取材前夜、愛之助氏は名古屋・中日劇場で宙を舞っていた。『南総里見八犬伝』に材を取った『新・八犬伝』で、彼は4役を早替りで勤め、魔界に君臨する崇徳院が観客の頭上を飛び回る趣向は、まさにエンタテインメント! 日々の精進や革新によって伝統は継がれるという意思を感じさせた。
「いえいえ。飛んでる方はお客様と目が合ったりして、結構照れ臭いんです(笑い)。今は上方の役者というと成駒家さんとうち(松嶋屋)くらいですし、歌舞伎役者全体からみると人数も1割に満たない。
何とか上方に活気を取り戻そうと、松竹の永山武臣前会長が作って下さったのが上方歌舞伎塾(1997~2002年)で、一般家庭に生まれながら父・秀太郎や祖父・十三世仁左衛門に人生を変えていただいた僕自身、塾では父の指導を手伝い、卒塾生と共演した「平成若衆歌舞伎」(2002年)では初の座頭も務めさせていただいた。
この『新・八犬伝』は元々その出し物として書かれた思い入れのある作品で、生涯上方役者として生きた祖父や父を見て育った僕にとっては、一生上方の役者でい続けることが、絶対譲れない軸なんです」
と、何より上方の役者として観客を楽しませることに拘る愛之助氏は、晴れて復元した永楽館の柿落公演への出演を二つ返事で快諾。
「只僕は出石に行ったこともなければどんな土地かも知らず、しかも当初は公演が8月(3回以降は11月)で、まさか鬘(かつら)が溶けるほど暑いなんて、ビックリでした!」