1953年に始まった日本のテレビ放送。その5年後には女子アナの元祖といわれる野際陽子がNHKに入社するが、女子アナは男性アナウンサーをサポートする「陰の存在だった」。1970年代前半まで、女性アナウンサーは目立つ存在ではなかった。まだ女性の働く環境が整っておらず、例えば、フジテレビでは1972年まで女性社員は25歳が定年で、それ以上は臨時職員としての雇用だった。
女性アナウンサーも仕事は「男性のサポート」が中心。1968年TBSに入社した見城美枝子は「プロデューサーに『アナウンサーは社員なんだからタレントさんとは領域が違うんだ』といわれました」と語っている。
1976年には日本テレビの村上節子(当時39)が、「容姿が衰えテレビ映りが悪くなった」という理由で異動を命じられた。裁判で争って勝訴したが、結局その後は異動した。
だが、1970年代半ばになると定年延長など女性の社会的地位が少しずつ向上し、1977年には民放キー局で11人の女性アナが採用された。
女性アナの地位を向上させたのはフジの田丸美寿々だ。1978年に『FNNニュースレポート6:30』で逸見政孝アナとメインキャスター役に就任し、ハイジャック事件などの現場にも飛び回った。そして1980年代の女子アナ黄金期が生まれる──。
1980年代に入り、女性アナが「女子アナ」と呼ばれるようになる。
きっかけは、フジテレビの山村美智子と益田由美の2人だ。山村は『オレたちひょうきん族』で初代ひょうきんアナとして人気を集め、益田は『なるほど!ザ・ワールド』のレポーターとして世界中を飛び回った。
2人は従来のアナウンサー像を覆し、バラエティ番組で体を張ってお茶の間の支持を得る。
「それまでタレントを起用していた場面でアナウンサーを使った。それが成功したことで、フジテレビは『女子アナは自社だけに出演するオリジナルのアイドル』というメリットに気づいたのです」(メディア文化論が専門の稲増龍夫・法政大教授)