大学在学中にモデルとして活動を始め、ひょんなことから『太陽にほえろ!』のテキサス刑事役に抜擢され人気者になった勝野洋は、天職なのか迷いながら俳優を続けていた。俳優としての自分を認められるようになったきっかけ、セリフに感じる言葉の力について勝野が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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勝野洋はもともと、好き好んで俳優の道に進んだわけではない。その意識が大きく変わるキッカケとなったのが、1993年に大林宣彦監督が撮った映画『はるか、ノスタルジィ』だった。
「これが自分の天職なのかどうか、ずっと迷いがあったような気がしています。大学に落ちたら自衛官になろうと思っていて、そっちが天職かな、と。
でも四十歳になって『はるか、ノスタルジィ』に出た時『よし、これでやっていこう』と決めました。あの映画で演じたのは、いつも自分を否定している作家の役でした。否定された過去の自分が今の自分に会いにくるという話なんです。『いつまで俺を否定するんだ』と。
演じながら、『俺もこの作家と同じだ』と思ったんです。そうやって自分を否定してきたんじゃないか、と。『それじゃあ前に進まないよな』と思いました。
自分を認めないと、自分を受け入れないと、絶対に前には進めませんから。それから少しずつ、自分を認めていけるようになりました。今はネガティブなことは絶対に言わないようにしています。前向きなことしか言わない。
自然体で少しずつ楽しみながらやれたらいい。役者って言葉に力があると思います。セリフ一つで人を感動させたり、怖がらせたりできる。舞台だと空間すら作れる。これは凄いことです。ですから、いい空間が作れたらいいなと思っています」
2003年にモーニング娘。と共演した舞台『江戸っ娘。忠臣蔵』など、十代のアイドルたちと共演する機会も多い。
「彼女たちをフォローするといいますか、一緒にいいものを作っていくという意識でいます。
演技のリズムは向こうに合わせます。一緒にやって僕だけ抜けていたらおかしいですから。演技というのは、結局はセリフ回しやトーンといったリズムだと思うんです。
それでも、彼女たちの中に入って一緒にやる、という感じではないですね。包み込むという意識です。『優しいおじさん』として接するようにしています」