テレビドラマや映画で長く活躍している俳優、火野正平のデビューは子役としてだった。子役時代のこと、共演者への思いについて火野が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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火野正平は1959年に子役として役者のキャリアをスタート、『少年探偵団』などのテレビドラマに出演する。当時は本名の「二瓶康一」を名乗っていた。
「一番の理由は二番目の親父と肌が合わなかったから。しょっちゅう喧嘩して、おふくろが悩んでいたんだと思う。そんな時に児童劇団の応募を見たら日曜はお稽古って書いてあったみたいで、親父の休みの日曜に俺がいなくなる……そんな単純な感じだったみたいよ。
すぐに『少年探偵団』のレギュラーに決まって、ふと気付くとお小遣いが親からもらうよりはるかにいいわけよ。それで、これはやめられまへんなと思って。最初はビビったよ。テレビ局って、子供にしちゃ建物が大きいじゃない。ビビって周りをウロウロして、意を決して入ったのを覚えてる。『なんでも一人で行きなさい』とおふくろに言われていたしね。
厳しい世界だったよ。セリフがちょっと増えだしたら、先輩から河田町のフジテレビの裏に連れていかれて引っぱたかれたこともある。『生意気だ』って。
演技をする、とかはガキだから考えてないし、そのほうがいいのかなと思っていた。とりあえずテレビに映るのが面白いというのはあったけどね。出たとこ勝負だったし、演技論とかは分からん。気が付いたら、自然とやっていた……みたいな。それは今でもそうだよ」
子役出身の場合、大人の役者になるのに苦しむことが多いが、火野もまたそうだった。