「安倍家」「岸家」という名門政治家血族の取材を40年以上にわたって続けてきた政治ジャーナリスト・野上忠興氏が『週刊ポスト』でレポートしている安倍晋三首相に関するノンフィクション。米留学後、安倍氏は神戸製鋼に就職、本社輸出部に配属されて「仕事の喜び」を見出すようになった。そして、1982年、父・晋太郎氏が外務大臣に就任、秘書官になるよう命じられた。だが、安倍氏はこれに激しく反発した。(文中敬称略)
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安倍の“退職拒否”で神戸製鋼所は大混乱に陥った。
元来、晋太郎は短気でせっかちだ。外務大臣就任後も政務秘書官不在が続く異例の事態に苛立ちを募らせ、同社首脳部に連日電話を入れては、「息子の首に鈴もつけられないのか。何をやっているんだ!」と迫った。収拾に当たった晋太郎の秘書がこう振り返る。
「神戸製鋼の総務部長が『大臣からは矢の催促ですが、本人がウンと言わない限り辞めさせることはできない。社長も副社長も頭を抱えている』と泣きついてきた。会社側は、夜のうちに晋三さんの机を撤去し、朝来ても『出社に及ばず』と通告する強行手段まで検討したそうだ。が、これは不祥事を起こした場合の措置で、労働組合の同意がなければできないという説明だった」
安倍と父のにらみ合いは、会社を巻き込んで2週間余り続いた。その頃、成蹊大アーチェリー部時代の友人に、安倍は心境を吐露している。
「親父に秘書官になれと言われて辞めることになったんだが、会社にどう説明したらいいのか困っている」
友人は「とにかく上司に相談して了解を取ったほうがいい」とアドバイスしたと述懐した。最後に安倍を動かしたのは、直属上司の言葉だった。その課長は「ちょっと飯食いに行こう」と安倍を食事に誘った。