他にも古典文学者・木村朗子氏との「宮廷文学における産む/産まない」や、北原みのり氏との「そしてみんな風俗嬢になった」等、幅広い対話が収録されている。だが、あとがきで上野さんは書く。〈ここまでしかできなかった、ごめんね〉
「結局、女の生きづらさは相変わらずで、むしろこんな日本に誰がしたって感じでしょ。昔は世間に石を投げていればよかった私も、この年齢になれば、非正規になるしかないのに自己責任を強いられる若い世代に対して、言い訳できません」
かつて東京大学の上野研究室は“保健室”と呼ばれた。
「特に2000年代になってから、メンタルヘルスに問題のある自傷系の女子や男子が、ボロボロに傷ついて訪ねて来た。ネオリベの優等生である彼らは親も世間も責めずに我が身を責め、リスカや食べ吐きの常習はザラ。なぜそこまでと思うくらい、健気で親思いなんです。
むろんここ40年の変化は自然現象ではなく、私たちが引き継いだバトンを、この先は次世代に託すしかない。ただ、正規と非正規の格差とか、スクールカーストやモテ格差とか、社会や男の欲望に分断され、〈追いつめられても手をとりあえない女たち〉を見るともう少し何かできなかったか、女は女であることで十分繋がれるはずなのにってね…」
他方、男の性の言語化も情報こそ溢れていても表面的で定型化していると言う。
「男は本当にホンネを語っているのかしら。男にはボクちゃんの内面や弱みを語る習慣がないですからね。男には男の生きづらさがあると思うけれど、それを解決するのは男自身であって女の責任じゃない。女性学だって女の抱えた問題を解決したいという切実な動機があったからこそ、生まれた。
学問や芸術にしろ、人は切実な動機があるから何かを成しうる。最近森岡正博さんの『感じない男』等、弱さと正直に向き合う男性学も出てきたけど、男の方が実は抑圧が強いのかな。避妊しないでセックスするとき男は何を考えてるのかとか、女の前で男であることの自己省察を、ちゃんと言語化してもらいたいです」
個人的な経験を怖れずに言語化し、その知見を横=社会的にも縦=歴史的にもつなげることで、少しはマシな未来を築けるはずだと、ワタシやボクも信じたい。
【著者プロフィール】上野千鶴子(うえの・ちづこ):1948年富山県生まれ。京都大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程修了。社会学博士。現在東京大学名誉教授、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。1994年『近代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞。2012年朝日賞。『スカートの下の劇場』『家父長制と資本制』『ナショナリズムとジェンダー』『上野千鶴子が文学を社会学する』『おひとりさまの老後』等著書多数。かに座、AB型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年6月19日号