日本でも、すぐに「訴えてやる」という声が聞かれるようになった。朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏が、慰安婦問題について言及する。その対象は元同僚・植村隆元記者である。植村氏の書いた慰安婦関連記事を、「捏造」扱いをしたなどとの指摘をした東京基督教大学教授の西岡力氏らが、名誉棄損で訴えられた件だ。
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事実は一つ。真実は見る人によって色も形も違う。裁判の判決イコール真実とはいえない。新聞記者の世界で、適切な記事だったかは、法廷でカタをつけられる問題なのか。
朝日新聞元記者の植村隆氏が、東京基督教大学教授の西岡力氏らを訴えた裁判では、170人もの大弁護団の一人が、提訴時に「ほかの人々も順次訴えていく」と宣言したことなどで、歴史学者の秦郁彦氏は、「金銭、時間、精神的負担を怖れる批判者への威嚇効果は絶大」であるとし、「恫喝訴訟」という言葉を使っている(産経新聞「正論」)。
この訴訟がそこまで言われるのは、彼が西岡氏らの様々な批判や疑問に手記や講演などで誠実に答えたと思われていないからだろう。
実際、疑問はまだある。韓国人の元従軍慰安婦の聞き取りテープからの、「思い出すと今も涙」(1991年8月11日朝日新聞大阪社会面)の取材経過について大阪社会部員だった植村氏は手記で、朝日新聞ソウル支局長が当時、南北朝鮮国連同時加盟問題など忙しかったので、植村氏がソウルに出かけたというが、調べた限りでは、当時のソウル支局長が書いた8月中の国連加盟関連記事は7本で、外報面トップの4段のほか、ベタ記事が4本。応援が必要な多忙さだったのか。そして、この弁解は意見陳述から消えている。
その意見陳述などによると、植村氏は8月10日にテープを聞くと、会うことも名前も聞くこともできないまま、その日のうちに出稿した。本来はテープを聞き終えたら、提供した韓国挺身隊問題対策協議会に、「やはり本人に確認しなければ、記事にできない」と注文し、会って、事実であろうとの心証を得たうえで記事にするのが、こうした取材の基本だろう。何百万の読者がいる一般商業紙が信頼に応えるとは、そういうことのはずだが、そんなに急いで記事にしたのはどうしてか?