中国が南沙諸島で滑走路を建設し始めたことにより、米中のさや当てが激しくなりつつある。太平洋の覇権をめぐり、大きな影響を与えるからだ。接近と対立を繰り返す米中関係を落合信彦氏が解説する。
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アメリカはこれまで、中国と付き合って得たものなど何もない。過去の歴史を振り返っても、米中の接近で得をしてきたのは常に中国なのだ。
米ソの対立が激化していた1972年、ソ連のKGBエージェントたちはアメリカ国務省やCIAのパーティーで、ことあるごとにソ連が北京に原爆を落とすという話をまき散らした。「もし落としたら、あなた方はどういうふうに反応する?」と聞いて回ったのだ。
それに対し、国家安全保障担当補佐官だったキッシンジャーは政府関係者に「絶対に答えるな、話題にもするな」とのお触れを出した。そして、対ソ戦略のために中国にニクソン大統領を送り込んだのだ。
だが、これは結果的に失敗だった。このニクソン訪中によって得をしたのは、中国だけだった。中国はこれによって「上海コミュニケ」、つまり「中国は一つで台湾はその一部」という立場にアメリカのお墨付きを得た。
さらに、周恩来が「ソ連を止めてくれ」と泣きついたため、ニクソンはいい気になってその年の6月、モスクワに飛び、ブレジネフを説得して中国との関係改善を促した。このときのアメリカの対応が中国の台頭を許す結果になってしまったことは、現在の中国の増長ぶりを見れば明らかだ。
ちなみに、その後訪中した田中角栄は、ニクソン以上の待遇を受けたことで「よっしゃよっしゃ」と気を良くし、多額のODA(政府開発援助)の拠出を決めてしまった。そのカネはすべて結果的に軍備に回されて日本の安全保障を脅かしているのだから、田中角栄を「戦後最高の首相」などと褒めそやす人の気が知れない。田中は「パンドラの箱」を開けてしまったのだ。