歌舞伎、能、文楽など伝統芸能に見いだされる“日本なるもの”をノンフィクション作家・上原善広氏が浮き彫りにする新シリーズ「日本の芸能を旅する」。今回紹介する若手能楽師、武田宗典氏(37)は、海外公演や現代アートとのコラボなど多彩な活動で知られる。
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武田宗典は二歳十一ヵ月で初舞台を踏み、能楽師として育てられた。しかし、10代後半になると、興味はミュージカルや現代演劇の方へ移っていく。
「父は能をやれ、と言ったことはありませんでした。それが逆にプレッシャーになっていたくらい、何も言わなかった。ミュージカルや演劇をやっていて良かったのは、沢山の出会いとか、いろんな視点が得られるようになったことですね。それで一九歳のときかな、能楽師になろうと決心したのです。だけど父の時代はまだバブルを挟んでいたけど、私が能楽師になったときはもう、日本経済もどん底でしたからね(笑)」
父、武田宗和はこう語る。
「息子から大学に行きたいと言われたとき、『それは視野が広がるし友達も増えるので良いんじゃないか』と言うと、『大学の間は好きなことをやらせてください』と本人から言われたのです。『そうすると同年代の人より、能楽師として少し遅れてしまうことになるよ』と言うと、『それでも構いません』という事だったので、その時はもう、他の職についても構わないと……。能楽師としてやるのは、相当な覚悟が要ります。だから本人が決めないと、こればっかりはいくらこっちが仕込んでも無理ですからね」
能の舞台では、本番の申し合わせ(リハーサル)は前日の一回のみ。大鼓、小鼓、太鼓、笛の囃し方それぞれ一名ずつ。地謡(コーラス)八名、ワキ方、後見など、その日の舞台や演目によって多少違うが、だいたい一五名ほどが舞台に集結して、通しを一回だけやる。衣装も能面も、本番当日までつけない。こうすることで自然と緊張感が生まれ、本番ではジャズ・セッションのような効果が出るのだ。
今年、三七歳になる武田宗典は、この四月に「熊野(ゆや)」を初演した。昔から「熊野松風、米の飯」と言われるほどの人気曲だ。