身長180cmを超える長身と鍛え上げたられた体を持つ、芸能界きってのアスリートタレントであり、情に厚く涙もろい事でも知られる、タレント・照英(41才)。ネット界ではもっとも愛されている人物のひとりだ。「照英が〇〇してる画像ください」というスレッドが頻繁に立ち、コラ画像は今やネットの定番ネタのひとつになっている。自身のネット界での人気について本人に分析を求めると、意外な答えが…。さらに、芸能活動の転機についても聞いた。
――幅広く活躍されている照英さんですが、芸能活動での転機はなんでしょう?
照英:20代のときは役者業が楽しくて。役者で一生食べていくんだろうな、って思っていたのが32才まで。国民的番組の『水戸黄門』(TBS系)を6年間やらせてもらっていて、自分の意思で辞めさせていただいたんです。それが、照英というキャラクターを引き上げる、いいきっかけになったんです。
――おやめになったのは、なぜ?
照英:ひとつは結婚ですね。妻と結婚したのが30才のときで、京都と東京を行ったり来たりしていたんです。時代劇をやっていると、月曜日から金曜日まで拘束されるんですね。東京で妻と一緒に暮らし始めて、週の半分以上家にいない。なんのために結婚したんだろうと考え始めていた時期で。このまま役者をしていたら、たぶん結婚した意味もわからなくなるし、家に帰る機会もなくなるんじゃないかって。
――芸能人の方に多い、“すれ違い”というやつですね。
照英:それじゃ困るので、結婚を機に東京に拠点を移してみようと思って、時代劇の仕事をそこでやめました。映画の主演の話もきていたけど、でもそれをやっていたら多分、家に帰れなくなるんじゃないかなって。
妻とは自分の人生が変わるかもしれないと思って結婚したので、「よし、人生変えてみよう」って、役者業をいったんストップすることにした。そうして東京に移った途端、子育て番組の『すくすく子育て』(NHK)や『天才てれびくん』(NHK)の司会の仕事が入ってきて、東京の仕事が多くなってきたんです。
その頃は、ちょうど育メンブームの少し前だったんです。自分が子育ての仕事の方向に進んで、子育て面白いですよ、楽しいですよと言っている間に、育メンブームになってきて。つるの剛士さんだったり杉浦太陽さんだったり、自分も含めですけど、みんなで育メンブームを盛り上げられて良かったなって思っています。
――役者業をいったんすべてやめるというのは、勇気がいったんじゃないですか?
照英:すごく怖かったですよ。そこにしがみついていれば、食いっぱぐれがないわけで。毎月定ある程度のお金が入ってきて、コマーシャルも決まる、大阪にもレギュラーがあるという生活だったので。
――収入が減ったのでは?