安倍政権が推し進める安保法制には多くの矛盾がある。集団的自衛権を認めるなら憲法をまず改正すべきという指摘は多い。にもかかわらず安倍政権は解釈の変更で押し切ろうとするため「国の存立が脅かされる危険」などを唱え本質的な議論をごまかそうとしている。安倍政権の本音はどこにあるのか、漫画家・小林よしのり氏が分析する。
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なぜ安倍氏が嘘をつく必要があるのか。それは安全保障法制が本音ではアメリカのご機嫌取りだからだ。自衛隊を米軍の一部隊とすることで、アメリカにアジアへの関心を持たせ続けようとしている。何がなんでもアメリカに抱きつく属国主義だ。
そのために解釈改憲という姑息な手段を用いるとは国賊である。よくそんな人物を「保守」が支持するものだ。
わしは1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結されたときから日本で真の保守は失われ始めたと思っている。同日、吉田茂首相は旧日米安保条約に署名した。米軍の日本駐留を認め、基地を無償で提供する属国条約だ。吉田は同行した池田勇人に対し、「政治家がこれに署名するのはためにならん。俺一人で署名する」という趣旨の発言をしたと伝えられている。
吉田は日本国民が将来、これが属国条約だと気づく時が来ると怯えていた。吉田には当時そういう思いがあった。
ところがその後、岸信介内閣が日米安保改定でやったことは、自主独立ではなく、米軍に日本防衛義務を負わせただけだった。その程度のことを「双務的」にしたといっているのが「岸神話」の実態だ。神話とセットで岸の座右の銘、「千万人といえども我行かん」が紹介されることが多いが、そんなに勇ましい話だろうか。
安保法制議論で推進派が集団的自衛権の合憲根拠としてあげる「砂川判決」は岸内閣時代に出た。それは集団的自衛権を認めた判決ではない。判決文に日米安全保障条約が「高度の政治性を有するものというべきであって、(中略)一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの」とある通り、最高裁が憲法判断を避け、三権分立を支える違憲立法審査権(※注)を放棄した恥ずべき判決だ。
【※注/法律や条例などが憲法に違反していないかどうかを裁判所が審査する。憲法違反と判断した場合にはそれを無効にできる】