むろん難病に苦しむ当事者は何を思ってもいい。が、臓器移植の問題は生死の一線をどこで引くかという難題を第三者につきつけ、まして謙吾は改正推進派の吉住のクビを取る特ダネを握ってもいた。
それを書けば推進派は叩かれ改正案は廃案に追い込まれるが、移植を待つ患者はどうなるのか。忠内は民意への影響を忖度するのが記者の責任だと言うが、それこそ〈マスコミのおごり〉だと謙吾は思い、実は考え方が根本的に食い違う2人の姿を、氏は謙吾の元恋人〈綾〉との三角関係も絡めて対照的に描く。
「普通なら忠内を主人公にして、謙吾を悪玉に書くんでしょうけど…。しかし現実は善悪なんて判然としないし、身勝手な功名心や私利私欲が良くも悪くも社会を動かす原動力になっているのも確かだと感じます」
そもそも善悪や生死などその殆どがグレーゾーンにある世の中に、法や制度で一線を引くこと自体に無理があると芦崎氏は言う。
「日本人の感覚からすると、脳死を人の死とすることに抵抗がある人も多いだろうし、特に臓器移植の場合は亡くなる人のための医療が生きる人のための医療へと切り替わる瞬間があって、その手続きを亡くなる側がさせられたり、制度矛盾のしわ寄せが結局は患者や遺族に押しつけられている。
生活保護も不正受給者を前提にすると本当に困っている人に支給できない。社会全体が納得しうる線を引くべく日々悩んでいるからこそ小説では善悪を曖昧にしたくなるのかも(笑い)」
読み終えた後、人は自分の行為にどこまで責任をもつべきかという問いが胸に残る。それは記者や役人に限らず、全ての仕事人につきつけられた問いでもあろう。
【著者プロフィール】芦崎笙(あしざき・しょう):1960年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。税務署長、マレーシア大使館、金融庁、内閣官房勤務等を経て、現在は財務省大臣官房審議官。日経小説大賞の第2回、第3回と最終選考に残り、2014年に第5回大賞受賞作『スコールの夜』でデビュー。「以前は家族にも内緒でコソコソ書いていたんですが、今では“小説も書く人”として職場でも受け入れられています(笑い)」。著書は他に『家族計画』。180cm、60kg、O型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年7月17・24日号