近藤真彦。51歳。1979年『3年B組金八先生』の星野清役でデビューし、翌年発表の初シングル『スニーカーぶる~す』は100万枚を超える大ヒット。田原俊彦、野村義男との「たのきんトリオ」で1980年代アイドル全盛期を牽引したマッチも、今年末で芸能生活35周年を迎える。
「80年代ですか? 正直いって記憶もイメージも、僕には一切ないんです」
石原裕次郎や美空ひばりの死と共に昭和が終わり、アイドル黄金期とも称された1980年代。10代から大人に囲まれ、孤独と闘ってきた近藤は、後ろを振り返る暇さえなく、秒単位のスケジュールに日々追われていた。
その後、バブルから失われた20年と、日本が昭和から平成への移行に苦しむ中、こんなに上手に大人になった50代も珍しいかもしれない。
「そうかな。僕はそうは思いませんね。この35年、いろんな仕事をしてきたけど、何ひとつ極めてないでしょ? 人気的には頂点に立ったと思ったこともあったけど、むしろ『あ、自分はもうトップじゃないな』という、その後の転落の感覚の方が強い。どうやって山を下りればいいのか、モデルになる先行者が周りにはいませんでしたから……」
そんな時、彼はレースと出会う。1984年に国内A級ライセンスを取得し、1994年にはルマン24時間耐久レースに参戦するなど、新たな挑戦を始めた。