春夏3度の優勝に導き、歴代6位となる甲子園通算40勝の記録を持つ木内幸男氏。茨城県の取手二と常総学院を率いた巧みな選手起用は『木内マジック』と呼ばれた。1984年夏、桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁するPL学園との決勝戦で9回裏にエースをライトに下げるワンポイントリリーフでKKを打ち取り、延長10回裏に3ランが飛び出し優勝している。甲子園に棲む勝利をさらう魔物とどうやって戦ってきたかを、木内氏が振り返った。
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強いチームでも地方大会で完全燃焼してしまうと、甲子園で力が出せないことが多い。ピークは甲子園に合わせ、地方大会では余裕を持つ。これが私の考え方でした。だから「甲子園に行けば楽しいぞ」と思わせるため、甲子園の秘密をたくさん教えてやりました。
例えば甲子園で1日4試合ある時は、私は子供たちに第3試合と第4試合では早いカウントからの「好球必打」を命じました。3、4試合目は、クサいところがストライクになる可能性が高いからです。
理由は審判が試合を急ぐから。第4試合となるとナイターになる可能性が高い。すると審判団は照明代にかかる経費を削減するため試合を急ごうとする。特に第3試合は第4試合の開始時間が見えてくるためかなり急ごうとするし、第4試合は応援団を少しでも早く帰らせてあげたいという親心から、ストライクゾーンが甘くなる。だから逆に守る時は甘くなったコースを徹底的についていきなさいと指導しました。
ストライクゾーンが広いのに真ん中の甘い球を投げる必要がないという理屈ですね。それに“浜風”や“陸風”も味方にしました。甲子園は午前中の試合は六甲山から吹く“陸風”で、午後は“浜風”が吹く。それに応じてオーダーも変えました。浜風が吹くとライト方向には球が伸びづらく、左バッターに不利となりますからね。