夏の甲子園が6日、開幕した。かつての名門校の思い出話、野球の見方を、伝説の名コーチが語る。(取材・文=フリーライター神田憲行)
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今夏、ある名門校の地方大会の戦いぶりが注目を集めていた。PL学園である。新入部員の募集を停止し、2、3年生だけで臨んだこの夏は、大阪大会準々決勝で終わった。新チームは3年生部員だけ12人だけで甲子園に挑むことになる。
「厳しいのはわかってる。でも与えられた状況のなかであの子らがやるしかないんです。野球部が存続するのかしないのかはわからん。でも目の前のやれることをやるのが大事」
とエールを贈るのが、かつて同校で野球部コーチをしていた清水孝悦さんだ。
清水さんはKKコンビの1学年上としてPL野球部に所属し、3年生時はキャプテンとして春夏の甲子園に出場、夏は取手二高に敗れたものの、準優勝を果たした。
その後大学に通いながら野球部のお手伝いを始め、昭和63年から平成14年までコーチを務めた。その間に教えたプロ野球の現役選手は、松井稼頭央、福留孝介、今江敏晃がいる。
PL学園野球部が現在のような状態に追い込まれた原因のひとつに、不祥事の多さがある。その「温床」のように指摘されたのが、野球部独特の「付け人」制度だ。
「付け人」は3年生部員ひとりひとりに、下級生がついて、洗濯・食事の用意・自主練習のお手伝いなど身の回りの世話をする。文字通り寝る暇もないほど「仕事」に追い回されるが、清水さんは「それが野球部を強くした」という想いが強い。
--「付け人」なんですが、清原和博と桑田真澄も付け人としてやっていたんですか。
清水「やってましたよ。ただあの2人は1年生のときから試合に出て、(ベンチ入りする)メンバーに選ばれたから、『仕事』も軽減されてました。そのぶん他の1年生の子が大変やったと思うわ」
--どんな付け人だったんでしょう。
清水「桑田は一切怒られたことがない。時間は守るし、相手によって対応変える器用さもあったので、そういう意味ではうまかった。清原はある意味で素直というか、嫌なことがあったら顔とか態度に出てしまうから、注意されることもありましたね」
--今の2人の印象とあんまり変わらない気が……。
清水「そやねん(笑)」
--そもそもなんで、「付け人」制度が必要なんでしょうか。野球に関係があるんでしょうか。
清水「あります。付け人というのは、付いた上級生の考えを先回りして、仕事をしていくことが大事になります。『あの人、いまこんなことしてほしいんとちゃうかな』とか、中学を出たばかりの子が、人のために働く。これがチームワークの元になるんですわ。キャッチボールやったときも、上級生は極端に言うたら胸の辺りに投げないとボールを取らない。相手が取りやすいところに投げる、こうしたらこの選手が動きやすい、そんなことを日常的に考える基礎になるんです。
たとえば桑田はピッチャーゴロが飛んできて、自分が取らずに二塁手が取った方がダブルプレー取りやすいなと思ったら、伸ばした自分のグラブをわざと引っ込める。自分のバックの守備位置が全部頭の中に入ってないと出来無いプレーです。そういう『先読み』する感覚が養われます。
また自主練習してるときも、自分がトスバッティングで100球打ったら、ボール投げてくれる付け人に『お前も打ってみぃ』と交代したりとか、後輩を可愛がる習慣もできます。上級生は『俺の付け人は気合い入っとるで』とか、自慢したりね」
--その「気合いの入った付け人」で覚えている選手はいますか。
清水「(間髪入れずに)立浪和義。僕が大学生のとき教えに行ったら、1年生で『付け人の立浪です。ユニフォーム洗わせていただきます』とか、完璧やった。あの子に比べられる子はいてへんのとちゃうかな。僕の『系列』やったしね」