コラムニスト・オバタカズユキ氏がこの夏にお勧めの一冊の本を紹介する。
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夏が来れば思い出すマンガ家がいる。水木しげるである。『ゲゲゲの鬼太郎』を始めとした妖怪モノが熱帯夜に似合うからではない。私は特に8月に入ると水木しげるの戦記モノのほうのマンガが読みたくなるのだ。この夏は、戦後70年や安保法制の騒ぎで戦争が話題になる頻度が高く、そのたびに読書欲をかき立てられた。
数ある水木しげるの戦記モノの中でも、とくに出色なの一番広く知られている『総員玉砕せよ!』だ。これで何度目の読了になるだろう。つい今さっきまで、むさぼり読んでいたところだ。
この長編マンガについては、7月30日に発行されたばかりの『水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生』という本でインタビューされた評論家の呉智英が、簡潔明瞭にこう解説している。
〈(戦記物を貸本時代からよく描いていた)そんな水木さんの作品の中でも『総員玉砕せよ!』は、自分の感情を叩きつけている感じの傑作です。舞台は彼自身が実際に送られた南方戦線ニューブリテン島。自陣を死守するために下された兵士500名への玉砕命令の顛末を、自身の戦争体験と重ねあわせて描いています〉
〈ストーリーとしてはいわゆる戦闘シーンがたくさん登場するような活劇風の作品ではありません。前線に放り出された兵士たちの生々しい姿を表現していて、時に笑いあり涙あり、しかし実際に体験した者でなければわからない、戦争というものの不条理に対する苛立ちのようなものがそこにある。それでいて単純な政治的反戦マンガに終わっていないところが、この作品の凄みです〉
そう、このマンガからは政治的意図が感じられない。そのぶんというか、それよりもというか、体験者がその見たこと聞いたこと知ったことを後世のために描き残す記録モノの枠にも収まりきらず、自身でもコントロールできないような得体のしれない感情を、持てる技法の限りを尽くして我々に訴えようとしている。
ゆえに、読む者の中にもそう簡単には整理のつかない、ひりひり、ざらざら、ずんずんとした感情が湧きあがり、何度読み返しても引きつけられてしまうのである。
水木しげる自身、職を転々と変えながら美術学校に入る夢を追っていた21歳、1943年に召集令状がきて、激戦地のラバウルに送られ、空爆を受けて左腕を失った。二等兵として配属された小隊10人のうち9人が戦死、つまり水木しげるだけが生き残るという体験をしている。『総員玉砕せよ!』は、彼の体験の90%をそのまま描いたそうだが、物語がどのように結末へ向かっていくかについては、ネタバレになるのでここでは書かない。
なんにしても、350ページ超の作品の最後10ページの描写の濃さには圧倒される。未読の方は、ぜひ圧倒されてほしい。
この本の「あとがき」で、水木しげるはこう書いている。
〈将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは〝人間〟ではなく馬以下の生物と思われていたから、ぼくは、玉砕で生き残るというのは卑怯ではなく〝人間〟としての最後の抵抗ではなかったかと思う〉
〈死人(戦死者)に口はない。ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせているのではないかと思う〉