そういう韓国が日本に対し官民挙げて声高に「歴史歪曲」や「正しい歴史認識」を要求し続けているのだから、日本人としては付き合いきれない。こうした特異な歴史観は自分たちだけなら勝手にどうぞだが、それを他国に押し付けるから困ったものだ。
しかし過去の「8・15」を振り返ってみれば、歴代大統領の「光復節記念演説」で以下のような素晴らしい演説もあった。今から30年以上前の1981年、全斗煥大統領の8・15演説は次のように述べている。
「われわれの国恥について日本帝国主義だけのせいにするのではなく、当時の国際情勢に暗かったわれわれ、国内的団結を期することができなかったわれわれ、そして国力が弱かったわれわれひとりひとりのせいであることを、峻厳に自責する姿勢を持たなければなりません(中略)過去を真実以上に美化することによって空虚な自尊妄大に陥ってはなりません」
歴史への反省というのはこういうことをいうのだろう。「反省」などというのは本来、他者に要求するものではなく自らがするものだということがよく分かっている。
歴史というと日本に対し官民挙げていつも威猛々しい現在の韓国からすれば、ウソみたいな話である。それを大統領自ら「8・15記念演説」で語ったことがあったのだ。
解放・光復70年の今年、朴槿恵大統領はどんな記念演説をするのだろう。「自尊妄大」に相変わらず日本非難を続けるのか、それとも民族的課題である“南北統一”という未来に向けた話に集中するのか。歴史観が問われる。
文/黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
※SAPIO2015年9月号