阪神タイガース時代は吉田義男と鉄壁の二遊間を組み華麗な守備で活躍し、日本で初めて「バックトス」を導入した二塁手・鎌田実氏(76)。鎌田氏が、今のプロ野球界にもの申す。もっとプロ野球は観客を沸かせるべき、というのが鎌田氏の考えだ。
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最近ようやく、プロ野球でも華麗な守備に注目が集まるようになりました。でも僕からいわせればまだまだ。かつてそうしたプレーが“封印”されていた時代の影響が、まだ残っているように思います。
僕が入団した1957年当初は、藤村富美男監督の発案で、試合前のシートノックにショーの要素を交えて観客を楽しませていました。「ノックだけでカネがとれる」といわれたものです。
肩の強いサードの三宅秀史さんにはライン際のゴロを打ち、ショートの吉田義男さんにはクイックスローができるようにバントを転がし、僕には二塁ベース上に打ってジャンピングスローをさせる具合です。
僕は「バックトス」が代名詞でした。フロリダキャンプで習得したもので、当時の日本の球界では使われていなかった。それまでは二塁ベースから6メートル以上離れているとフォースアウトしか取れなかったが、バックトスを使うことでゲッツーにできたんです。吉田さんとのコンビで華麗なプレーができていた。相手チームもベンチから見ているし、どこの球場でもシートノックは拍手喝采でした。
でも、その後の監督たちは、こうした動きを“サーカスプレー”だと否定するようになった。球界には軍隊式の生真面目な指導者が多く、日本人らしいマジメなプレーを奨励して、華麗な守備は徐々に封印されていった。
例えば二塁ベース寄りに飛んできたゴロをシングルハンドで捕球して右手に持ち替え、背面からベースに入ったショートにトスをする。練習によってショートと呼吸を合わせた合理的な動きなんですが、日本でこれをやると雑なプレーだといわれた。
また「ヘソ捕り」も封印された。フライをヘソのところで捕球するやり方で、実はそのほうがボールがよく見えて捕りやすい。プロに入ってから僕は、ヘソ捕りの名手・平山英雄さんのプレーを見よう見真似で練習していたんですが“禁止”。そういう風潮によって日本の野球は大きく後れを取ってしまったと思います。