「六代目は組の統制をことのほか重んじていた。直参は関西に来たら必ず本部(神戸)に顔を出さなければいけない決まりがあった。大阪にいても挨拶をするためだけに、神戸まで車を走らせる。
上納金制度も厳しかった。組の規模によって違うが、おおよそ月に80万円。それ以外にも本部が販売するミネラルウォーター、石鹸や歯ブラシなどの日用品の購入の強制、各組長の誕生日会へのお祝い金など、とにかく金銭の支払いが発生する。暴排条例(暴力団排除条例)などの締め付けでヤクザのシノギが限定されて稼げない時代だけに、厳しい上納に不満を抱く組は多かったようだ。
雑貨屋のようなシノギしか認めず、しかもトラブルは起こすな。これでヤクザといえるのか?」(同前)
そんな思いが五代目時代を懐かしく思う一部の直参組長たちの間ではくすぶり続けていたようだ。とりわけ造反組を刺激したと囁かれているのが、跡目問題だ。別の傘下団体幹部が語る。
「今年の夏前、司六代目が七代目に弘道会の幹部を指名しようとしているという情報が出回った。これには、“次は関西に実権が戻ってくる”と思っていた直参たちが猛反発。さらに、将来的には本家を名古屋に移動させる案があるという話も出た。それからしばらくして、この脱退騒動が起きた。造反した組長たちには、“名古屋から山口組を取り戻す”という思いがあるはずだ」
奇しくもクーデターが勃発した翌日の8月28日は、18年前(1997年)に五代目山口組の若頭だった宅見勝・宅見組組長の射殺事件が発生した日だった。
「大黒柱だった宅見若頭の死は、それまで主流派だった関西系の勢力が弘道会に取って代わられるきっかけになったと見る直参もいる。その意味でも、このタイミングで関西の直参たちが新組織を立ち上げるという話には因縁を感じざるを得ない」(関西に拠点を置く山口組傘下団体の元幹部)
※週刊ポスト2015年9月11日号