続出する不祥事はある種の混乱も巻き起こしていいる。中国の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏が指摘する。
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中国の刑事裁判をめぐる報道に接して日本人がつい首をひねってしまう場面は少なくない。例えば、「執行猶予付き死刑」だ。これは実質的な無期懲役なのだが、たいていの日本人は「なぜ死刑に執行猶予が?」となるはずだからだ。
中国は2013年から習近平の打ち出した反腐敗キャンペーンによって次々に汚職官僚が摘発され、年間で5万人以上の官僚(政治家)が起訴されたとも伝えられている。
こうした裁判を通じて、天文学的な巨額賄賂が飛び交う社会の実態が明らかにされるのに対し、汚職官僚への判決はときに「死刑」であり、ときに「執行猶予付き死刑」、またときには「無期懲役」であったりして、その基準が話題になることも少なくなかった。
裁きを下す司法の側には、ある程度の目安があるのだろうか。
実はこれ、極めて曖昧なのだ。
2015年8月29日、全国人民代表大会常務委員会で刑法の改正が一つの焦点となったのだが、このとき明らかにされたのが汚職の罪の軽重を決める基準があまりに古く現状に適合しないという問題だった。
罪の重さは4段階に分けられており、それぞれ収賄額で5000元未満、5000元以上5万元未満、5万元以上10万元未満、そして10万元以上となっていたのというのだ。
2014年11月に摘発された馬超群(元北戴河供水総公司総経理)が自宅に現金1億2000万元(約22億8000万円)と金の延べ棒37キログラムを隠し持っていたケースを挙げるまでもなく、昨今の収賄額はどれも莫大で、収賄額が10万元を下回ることなどほとんどないのだ。
つまり、どれも10万元以上の深刻なケースであり、金額から客観的な判断を下す基準は司法の側にはなかったということだ。この事実は換言すれば、司法は極めて政治的に判決を決めてきた可能性が高いということになる。
事実、過去20年、汚職で裁かれた官僚たちの判決には一定の規則が存在しない。