アメリカの情報機関が日本企業や日本企業に盗聴を仕掛けていたことが明らかになった。ジャーナリストの落合信彦氏は「インテリジェンスの世界に友人はいない。情報を簡単に奪われるほうが間抜けだ」と指摘する。その真意はどこにあるのか。
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我が国のインテリジェンスに対する感度の低さがまたも露呈した。アメリカの情報機関・国家安全保障局(NSA)が日本政府や日本企業に盗聴を仕掛けていたことが明らかになった件である。この一件は、内部告発サイト「ウィキリークス」が7月末に公表した内部資料で公になった。
資料によれば、NSAは第1次安倍政権の2006年ごろから、日本政府の部局や大手企業などの35回線を盗聴。さらにウィキリークスは、盗聴で得た情報をもとにNSAがまとめたとされる5つの機密文書も公表した。
そこに書かれていたのは、2007年4月の安倍首相訪米を前に官邸と外務省などの間でやりとりされていた情報を分析したものだった。そこでは安倍政権が当時検討していた温室効果ガス削減目標について「アメリカの反対を見据えて、事前に知らせないことを考えているようだ」と分析されていた。
要するに、日本の出方はすべてアメリカに筒抜けだったのだ。
安倍首相は盗聴されていたことを受け、国会でこう発言した。
「仮に事実であれば、同盟国として遺憾である」
馬鹿げているというほかない。私がかねて指摘してきたように、「インテリジェンスの世界に友人はいない」というのが世界の常識である。安倍だけではない。他の政治家たちや、新聞、テレビも「同盟国に対して盗聴するなど言語道断だ」といった論調で大騒ぎしていたが、まるで“子供の論理”だ。