アドリブ芝居の多かった松田優作と共演して“表現すること”の難しさを知ったという中村雅俊。その後もさまざまな監督とともに仕事をするなかで、「芝居にはいろんな表現がある」ことを学んできたという。その中村が語った言葉を、映画史・時代劇研究家である春日太一氏の週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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中村雅俊は1975年に日本テレビの刑事ドラマ『俺たちの勲章』に出演する。これはデビュー作『われら青春!』に続く岡田晋吉プロデューサーの作品で、相棒の刑事役は松田優作が演じた。
「岡田さんが言うには『これは刑事ものではなくて青春ものだ』ということでした。『ただ事件を解決して良かったというのではなく、そのプロセスの中で若者二人が何を感じてどう挫折するのかを描きたい』と。それで鎌田敏夫さんが脚本を書いた。
松田さんは文学座の十二期で、俺は十三期。マネージャーも一緒で、どちらも岡田さんの作品で世に出たというのも含め、共通項は多かったんですよ。それで現場では和気あいあいとやっていたのですが、いざ本番になるといい緊張感がありました。
あの人は凄く芝居のバリエーションのある方で、アドリブの芝居が多かった。台本と全く別のことを喋ってきたりしてね。ですから、ただセリフを覚えるのではなく、松田さんのアドリブに対して答えがいくつもある中から選んで芝居をしていくというね。
こちらも若造でしたから『台本通りはカッコ悪い』と思って、そういうのを良しとしていました。ただ、アドリブの芝居というのはその場でいいと思っても、冷静に考えると台本通りのほうが良かったということもあるんですよね。
ゲストで来た先輩の俳優さんに『お前ら、台本通りにやれ!』と怒られたことも随分とありました。ですから、表現するということの難しさというのをこの時に初めて知ったように思えます」