東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏による『週刊ポスト』連載「長谷川幸洋の反主流派宣言」が最終回を迎えた。その最後のコラムから、反主流派とは何かについて抜粋して紹介する。
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このコラムは今回が最終回になる。『ニュースの言葉は嘘をつく』という前連載から数えると4年2か月の間、ご愛読いただいた読者のみなさまには感謝を申し上げる。
そこで今回は「反主流派」を貫く意義を書こう。私は初回に「世の中を動かすのはいつだって反主流派だと思っている」と書いた。その考えはいまも変わらない。
連載中、コラムは安倍晋三政権の政策路線を概ね支持してきたので、時折「どこが反主流派なんだ」という批判の声もいただいた。だが、そういう見方は「時の政権こそが主流派」という思い込みにとらわれている。
ここが政治を観察するうえで肝心なのだが、「政権を握れば主流派で、野党が反主流派」ではないのだ。
この国の主流派とは、国民の多くが一見「そうだ」と思う、もっともらしい話をしながら、実は紋切り型の思考にとらわれ、結果として既存の秩序や体制の維持に手を貸している勢力である。そういう勢力は永田町にも、霞が関にも、マスコミにもいる。
安全保障関連法をめぐる騒動もそうだった。自民党は長く政権を握っていたが、これまで集団的自衛権の行使を容認する改革に手を付けた政権があったか。安倍政権が初めてである。なぜ改革に踏み出さなかったかといえば、野党はもちろん世間やマスコミ、さらには肝心の与党内でも反発が予想されたからだ。
実際に猛反発が起きた。それでもやらざるを得なかったのは、中国や北朝鮮の脅威がもはや放置できないレベルに高まったからである。