俳優で歌手の中村雅俊の代表作のうち、うだつのあがらない大学生たちを主人公としたドラマ『俺たちの旅』は、ふだんの中村の姿を参考に作り上げられた作品だった。等身大の役柄が続き演じることをあまり意識しなかったとき、大河ドラマに出演したことで初めて体験した演じた思い出を中村は持つ。そんな中村が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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1975年に日本テレビで放送された連続ドラマ『俺たちの旅』で中村雅俊は主人公の大学生カースケを演じた。番組は大ヒットし、中村の代表作のひとつとなる。
「『俺たちの勲章』をやっている時に脚本家の鎌田敏夫さんと下北沢で飲むことが多くて。その時に『シュンはどういう学生だったの?』と聞かれることがあったんですよ。『バイトやって、下駄を履いて……』とか言っていたら、知らないうちに『普段の中村雅俊を使って青春群像をやろう』ということになったんですよ。実際、あの衣装はみんな自前です。
鎌田さんからは、『勲章』で松田優作さんのやった『中野さん』と俺のやった『アラシ』、『やるならどっちがいい?』と聞かれました。もっとガサツなキャラクターがいいか、ナイーヴで繊細なほうがいいかということですね。『勲章』に続く作品なので、『今度は少し変えた方がいい』とは言いました。そういうことを電話で話したり、鎌田さんからもこれまでの人生で経験したエピソードを出してきたりしながら、作っていった作品でした。
キャラクター作りをしたのは斎藤光正監督でした。現場で随分とセリフも変えられましたし。『お前は地でやればいいから』ということで、そういう部分は強調して演じましたね。スケベなキャラクターというのもありましたが、例えば友情、友を想う気持ちは顕著に出しました。
斎藤監督はセリフを言う時は引きの画で撮って言い終わってから寄る……という具合にセオリーに反した撮り方をされていました。凄く芝居に間を作るんです。何か喋ったら間を作り、そこに音楽を入れる。だから叙情的に訴えかけてくる。若者たちがバカばかりやっているのに、どこかジーンと来ることがあるのは、あの人の力だと思います。
ただ、あの頃はそういう青春ものばかりをやってきたので、俺の中では『演じる』という作業は結構薄かったんですよね」