今年5月に箱根山の火山活動が高まって以降、いまや国民的行事ともいえる箱根駅伝(来年の1月2、3日に予定)の開催を危ぶむ声も出ている。実際に5区および6区を走るランナーたちは、警戒区域から外れているとはいえ、大涌谷の立ち入り禁止エリアから直線距離で約2kmの場所を通るからだ。
そんな中、浮上しているのが4区の小田原中継所で折り返すという案だ。
昨年の優勝チームである青学大・原晋監督はインタビューで「東京~小田原往復8区間となれば面白くないですが、こればかりは自然が相手なのでどうしようもありません」と語っている。
しかし、原監督の言う通り、第5区の舞台となる「山」がなければ大会の盛り上がりは大きく欠ける。近年の箱根駅伝はまさに「山登り」こそがドラマだったからだ。
そこで考えられるのがコース変更だ。箱根駅伝では、やむを得ない理由でコースが変更になったことがある。
第二次大戦下の1941年、軍事上の理由などで東海道(当時のコース)を使うことができなくなり、明治神宮から東京都青梅市にある熊野神社までを走る「青梅駅伝」が開催された。この大会は公式記録には含まれていないものの、そうした“苦肉の策”もとられてきた歴史があるのだ。
そこで駅伝に造詣の深い人々の知恵を借りて代替コースをシミュレーションしてみた。