下積みを経験しないまま青春スターとして人気を集め、長らくそのイメージのまま演じてきた俳優で歌手の中村雅俊は、30歳を前にイメージと大きく異なる役を演じる機会を得たことで芝居自体が変わったという。様々な役を演じ、経験をしてきたことで得た、「中村雅俊であること」について語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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中村雅俊は1979年のテレビドラマ『三十秒の狙撃兵』(テレビ朝日)でこれまでの青春スターのイメージから一転、37歳の若さで自殺したCMディレクター・杉山登志を演じている。
「あの作品は今までやってきたドラマと違う気がしました。華やかな栄光と挫折が本当にジックリと描かれていまして。ドキュメントのようなドラマで、初めて演じる喜びや表現する楽しさを感じたように思います。
多少、こなれてきたというのもあるんでしょう。デビュー当時はアップアップで、『俺たちの旅』あたりでようやく『この道で行こう』と決めることができたくらいでしたから。
そういう実績もあって、客観的に自分を見られるようになりました。それで芝居自体も変わっていったように思えます。
たとえば、感情表現がスムーズにできるようになった。当たり前のことなんですけど、それまでは気持ちを作って出すという作業の工程が分からなかったんです。顔だけ作ればそこから気持ちも作れるのか、それとも気持ちを作れば顔に出るのか。かつては、それすらよく分かりませんでした。それが段々とオンエアを客観的に観ながら『ああ、こういう気持ちでいたら、こんな顔をしているんだ』と見えるようになっていったんです。
当時は『ずっと青春ものをやってますけど、この先どうするんですか』とよく質問されました。その度に『俺が四十、五十で俳優をやっていても青春スターと呼ぶ人もいないでしょう。時間が経てば自ずとやるものも見え方も変わってきます』と答えていました。『ふれあい』を歌う時は『歌う青春スター』って自分で言っていましたが、そんなのは冗談ですから」