近年、嫌~な日本語がやたらと使われている。作家で法政大学教授の島田雅彦氏は、そのひとつとして「国益」を挙げる。いったいなぜなのか。
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最近、政治家がよく口にする「国益」という言葉がどうも気になる。
まず、「国益」とは何かがよくわからない。企業なら「利益率を上げる」「売れる商品を開発する」など極めて具体的な利益追求の手段がある。しかし、これが政治のコンテクストで使われると、極めて曖昧かつ独善的になる。
多くの場合、政治家はこれを殺し文句のように振りかざす。野党の反対を押し切って法案を通す場合など、すべて「国益のため」という説明で、理由や背景を曖昧にするのに使っていると思う。
「国益」を追求する主体も不明だ。往々にして、その政策が国益に利するかどうかは時間が経たないと判断できない。「国益のため」と称したものが後に国益にならなかった場合、決めた政治家たちはもういないので、責任は誰も取ることがない。
国家予算は税収と国債で成り立つから、主権者たる国民が「税金を払ってよかった」と納得するか、国の赤字を減らす政策なら「国益に適っている」と言えるかもしれない。
しかし、いざ「国益」という言葉を戦争に使う場合には、大きな矛盾を招く。歴史が示す通り、いつの時代の戦争も、戦費負担は予想を遥かに超えて膨らむ。財政が圧迫され、国家が破綻するのはお決まりのコースだ。基本、戦争は「国益」に反する。