蓮の花びらのような8月の峰に囲まれた和歌山県・高野山。空海が作り上げた真言密教の根本道場には117の寺院があり、奥之院参道には織田信長や明智光秀、豊臣家など無数の墓石群が立ち並ぶ。1200年の歴史が刻み込まれたこの山の魅力を、高野山大学名誉教授・松長有慶氏が解説する。
* * *
「一度参詣高野山、無始罪障道中滅」。高野参りを勧誘した古くからのキャッチフレーズである。一度そこに足を運べば、過去現在の憂いも悩みも消え、みんな満足して山を下るという。不思議な山だ。海抜九百メートルほどの山には、いたるところに千二百年の歴史が深く刻みこまれている。
この山は下界を見下ろせない。ケーブルカーや車で登って山内に入っても、平地でさらに高い山々に囲まれている。山も人間も雲海の中にすっぽり包み込まれてしまう。千二百年の歴史の中で、失意の者も、相次ぐ戦乱の敗残者も、政治的な失格者も皆この山に逃れこんで、癒され蘇った。
弘法大師・空海が今も見守る奥之院の参道には、宗派を問わず無数の墓石や記念碑が立ち並ぶ。歴史に名を残した武将・大名が、浮世の恩讐を超え、仲良く眠りについている。亡くなれば大師の膝元で安らかに、という信仰が千年を越えて庶民の間でも受け継がれてきた。こんな思いは一朝一夕に出来上がるものではない。
空海はその生涯を閉じる少し前、高野山で万燈万花会(まんどうまんげえ)を開いた。その中の願文で、動植物を含め生きとし生けるもののすべての鎮魂を祈るとともに、この世に苦しみ悩む人が一人でもいる限り、自分は永遠に生き続けて救済に当たる、という途方もない約束を仏と交わした。
かくして「大師は今もおわします」という入定信仰は人々の間で語り伝えられ、津々浦々で長く信じられてきた。このような僧は日本の仏教の歴史の中には見当たらない。癒しの地、救いの山の伝統は今も生きている。